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いーとあーとブログ

展覧会情報(旧ギャラリーどらーる掲示板より)

2025'04.20.Sun
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2007'01.29.Mon
ベトナム漆画ー宮の森美術館 投稿者:栄通(丸島) 投稿日:2006/04/24(Mon) 18:26 No.3775  
 

○「ベトナム漆画アートの世界」展
    響きあう日本・ベトナムの心
  札幌宮の森美術館(宮の森2条11-2-1 電話612-3500)
  4月4日(火)~4月30日(日) 一般800円

 坂本さんご存知の、akaさん個人サイトに上記の招待券配布の記事がありました。早速問い合わせて夫婦二枚ゲット。
 いやー、良かったなー。漆画というもののイメージがよく掴めないので、800円出してまで行かなかったと思うんですよ。akaさん、有難う。

 漆画ー本当のことはよく判らないのですが、知ったかぶりの説明です。
 使う絵の具に漆を混ぜて、独特な色あいをだすのです。更に、画面に卵や貝殻をコラージュ風にして、小割、極細割に散らばせて、白色を出します。割れ目に漆色が浸透して、妖艶というか品格ある色合いになるのです。何層も何層も塗って、今度は逆に何層も何層もそぎ落として、落ち着きのある深い色になるのですね。ベトナム・ウルシは日本や朝鮮
のそれと成分がぜんぜん違っていて、固まるのにかなり長い時間を要するので、こういう作業も可能なのです。色も落ち着くのに二年ぐらいかかるみたい。風土が生んだ技能、芸風です。
 出来栄えは平均に茶黒っぽい、日本画風、クリモト張です。近作は相当に抽象性の高いのがありました。30年前まで戦争状態ですから、現代美術という点では、これからが楽しめるという感じでした。フランス植民地でした。ベトナム色・アジア色・ヨーロッパ色との絡み合いが見られるのでは。
 面白いのは、戦争期の風景画です。一見普通の農村の生活・風景画に見えます。が、明らかにこれらの絵画は政治画です。「人民」に頑張って、清く、明るく、正しく振舞って、この戦争を勝ち抜いて、こんな理想の農村をみんなで創ろうよというメッセージ画だと思います。
 札幌に居て、予想外の国の芸術を楽しめました。先入見に囚われないで美術鑑賞に努めます。

 なお、宮の森美術館は結婚式などの会場内にある、併設企業美術館です。今展が実質的な杮落としです。なかなかやるじゃーないですか。常設展を含めてこれか
らどう展開するか楽しみです。

 最後にしつこく、akaさん、有難うございました




Re: ベトナム漆画ー宮の森美術館 竜馬@管理人 - 2006/04/24(Mon) 19:54 No.3777  

3777.jpg 栄通さん ごめんなさいね。
そこは私の家のすぐ近くで、皆さん良く知った方ばかりでしたから、顔パス出来たのに・・・
この欄で紹介していませんでしたものね。

4月7日に杮落としのオープニングパーティーがありました。
1日の日に、当社のオープニングパーティーに宮の森美術館のスタッフ2名が出席してくれて、お誘いを受けていたのですが、何かと雑用が多くて失礼してしまいました。

管理人自身はベトナムと少し縁があり、過去何度か訪問しております。
行く度にいろいろ歩きましたが、漆画と云うのはお目にかかりませんでしたね。。。。

結婚式・レストラン・美術館とどれもお洒落なんですが、あまりお客様を見かけません。
がんばって盛り返して欲しいと願っていますがどうなんでしょう。



Re: ベトナム漆画ー宮の森美術館 栄通 (丸島) - 2006/04/25(Tue) 01:30 No.3780  

>管理人自身はベトナムと少し縁があり、過去何度か訪問しております

 いやー、坂本さんとベトナムの縁、気になりますね。
 私事ですが、3年位前のことです。ベトナムに行く為に、千歳発日航便に乗ったんです。待つこと30分。飛行機は整備不良で運休です。結局旅行は止めました。私達夫婦にとっては幻のベトナムです。

>結婚式・レストラン・美術館とどれもお洒落なんですが、あまりお客様を見かけません。・・・・

 私達が行った時は式場中で、車も止めるところもなく、画廊もそれなりに婦人達が入っていました。ですが、坂本さんの心配はなんとなく判ります。でも、ああいう空間が産まれたっていうことはいいことですよね。何の応援もできませんが、せっせと観に行きたいと思っています。
 
 美術って何の価値があるんだと言われれば、言葉に窮しますが、好きになるとどうしようもないーーこれが私の心境です。せっせと、その思いを貴掲示板に使わせてもらっています。何かと大目に見て下さい。



Re: ベトナム漆画ー宮の森美術館 竜馬@管理人 - 2006/04/25(Tue) 07:31 No.3781  

ベトナムは物価も安いし、勤勉で誠実。向学心の強い国民性も素晴らしいし、食事も美味しい処でアジアでは1番好きな国です。
リタイヤ後は「ベトナムで半年生活し、半年は日本で・・・」と話し合っておりました。
現地高官や大学教授、日本語学校の理事長など何人かの頼りになる知人もおります。
でもひとりじゃネェ。

>好きになるとどうしようもない
 ↑
いつまで続けれるか定かでない「ヘッポコ掲示板」ですが、栄通さんのその想いは伝わってきます。
実名批判だけは少々お手柔らかに。。。(笑)

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2007'01.29.Mon
「抽象派作家」今荘義男の画につ... 投稿者:T.nakamura 投稿日:2006/04/23(Sun) 11:50 No.3769   HomePage
 

0) 私は展覧会に絵を見に行く。けっして、「抽象派」というような意味不明で曖昧な観念を捕らえに行くのではない。絵画という視覚的存在(「物質」)にはそのような(非視覚的な)「観念」は発見できないからである。私は画家の作品(もの)を見に行くのであって、その画家の「脳内」(イメージ)を観察しに行くのではない。私は在るがままの作品そのものを仔細に観察しに行くのであって、その作品を生み出した画家本人との出逢いをあえてもとめているわけでもない。「抽象派」であろうが、「具象派」であろうが、絵画表現の純粋の行為の痕跡が画の中に見出されるなら、それで十分満ち足りる。


1) 仮に抽象派と具象派があるとする。お前はどちらの方がすきなのかと問われるなら、私は挨拶としてだがいちおう具象派も抽象派もと応じるつもりである。どちらも人間の精神が生みだす「絵画」であるという一点で同じじゃないかといつも思う。

抽象派と具象派の決定的違いはどこに存在するのであろうか。両派の境界線はどこに引かれるのであろうか。未だかって深く考えたこともないこの問題について、行きがかり上、少しだけ考えてみることにする。

人間の意識が境界線を決定する。画家である以前の人間の精神がその境界線の存在を思う。「差異」「対立」「矛盾」が人間の意識に生じるなら、その現象は竟には「言葉」上の区別となって定着するしかない。人間の言語的意識には常にその傾向を内包している。(人間精神が生みだす「同一」の絵画表現の地平に、表現方法上の「差異」が生まれる。)

そこで「同一性」と「差異性」の関係性の眼でこの問題に近づいてみる。で、ここでは絵画表現へと向かわしめる画家の内的モチーフの発火点(「同一性」)に着目すると、モチーフの発火点の在り処(「差異性」)が抽象派と具象派では微細に違っている。

「具象派」は絵画表現の内的モチーフの在り処をつねに意識の外の世界に発見する。彼の眼の玉は己の意識の外に存在する森羅万象の「リアリティ」にじかに対峙する。外界の森羅万象の無数の現象を見る、観察する、そして考える。「抽象派」はそれとは位相が逆であって、絵画表現の内的モチーフの在り処をつねに意識の内の世界に発見する。おのれの意識の内側に存在する心的現象の無限の世界とじかに対峙する。内界の森羅万象の無数の現象を見る、観察する、そして考える。

きわめて単純化するなら、画家が自分の眼の前にある「もの」の方を信用するのか、それとも自分の眼の奥にある「ものの像」の方を信用するか、それ(だけ)が違いの急所である。

具象派は「もの」から触発されるのを待ち、それを写生する、それを素描する、それが表現にまで転換するまでの間、何十回も何百回も対象と格闘する。抽象派は「もの」から触発されるのを待つことをしないし、もちろん、それを写生もしない、素描もしない。おのれの「脳内イマジネーション」の力(のみ)を頼りにする覚悟は決めている。「もの」の存在など、歯牙にもかけない。

どちらも同じ人間の精神の行為であるはずなのだが、その精神にやどる世界観(世界をどう捉え、どう表現するかの基本的構え)が決してひとつきりではなく、いくつも(対立し、矛盾しながら)存在するから、絵画の世界にも、おのずと、「抽象派」と「具象派」の対立が生まれる。

2) 今荘さんはわたしは「抽象派作家」であると宣言をした一人である。おのれの絵画の方向性についての、その宣言はずいぶん昔にさかのぼる。それは33年前までさかのぼる。今荘さんは1930年生れであるから40代に達したばかりの頃である。それが1973年である。

絵画の方向性において、あえて「抽象派」という架空の一座標軸をかかげ、それを絵画実践の磁場をつらぬく機軸としてあらためて据えなおし、そして画家の同志的関係をつくりだす。その必要と必然があったからこそ、今荘さんをして、そのような行動に踏み切らせたのだと思うのであるが、さて、私はその当時は25歳の無知な青年に過ぎない。そのような先鋭的な行動を志した画家たちが存在したことさえ私は知らなかったのだ。

したがって、今荘さんはこの「抽象派」という架空の座標軸を絵画的に実体化する果敢な挑戦を実にそれ以後30年以上も続けている。その持続する精神のあり方に敬意を表する次第である。

3) 今荘さんのふたつの大作のタイトルはどれもおなじ「古里」である。この「古里」というモチーフは近年の今荘さんの画業を貫いていてかわるところがない。その日本語の「古里」という語が持っている感触(語感)からイメージする世界と、今荘さんの絵画的に表現された世界の間にはおおきなへだたりがある。その「へだたり」こそ、「抽象派」と「具象派」との決定的違いの在り処を示すものであろうか。

2005年と2006年に製作された「古里」のサイズはどちらも同じ大きさで、縦が180センチ横が300センチである。それが2枚並べてあるから、見る側では、縦180センチ横600センチの世界と向き合うことになる。大きな世界である。

「古里」のモチーフを具象的に写実的にあらわすようなものの、かたちも影も、画面のどこをさがしても見つけだすことなど誰にもできそうにもない。画の前に立つ者が無意識に身に着けている先入観を捨てて、画の前で「空」になることをもとめている。いささかでも「感情移入」することを許す具象的な像の破片を画の中からきれいさっぱり排斥している。で、今荘さんのやわらかい精神の眼が意識の奥底にいつも静かに見つめているのは「古里」の心象である。その「古里」の心象をいかにして造形化できるか、実体化できるか、物質化できるか、そのことだけがひたすら追求されているだけである。この追求の根が奈辺にあるのか、私には不可解である。その精神の苦闘・格闘の軌跡のみがとどめられている。それのみを観取されることを画がねがっているという佇まいである。

画の前に立つと、誰もが感じるはずだとと思うが、画がしずかに呼吸している。

4) 画の物質化のベースになっているのは、風雨にさらされた古の農家の土壁の表情のように、人間が何十年も何百年も歩行するだけで踏み固めた古の土の道の表情のように、堅牢なマチエル(文字通り、物質)からできている。画家は人間の個のいのちと運命をこえるものの存在(世界地平)をまず視覚的に物資化することに専心する。そこを土台にしてのみ、人間のいのちの儚い華は生き死にしているからだ。

では、人間の個人の悲しい運命といのちの存在、そのかたちと影はどこに見つかるのか。それがやわらかな曲線で囲いこめられているまるいかたちのほぼ同じ大きさのフォルムである。画の中にほぼ同系のフォルムを複数個見つけることができる。それは画家の生の軌跡のクロニクルの、ある特定の時間と場所を象徴するものでもあるかもしれない、あるいは画家の人生のなかで出遇っては生き別れ、死に別れした人々の存在の記憶の象徴であるかもしれない。そのフォルムは堅牢なマチエルの表面に根を生やしたような佇まいでそこに存在している。ときにはそのフォルムのひとつに特別の色彩である赤がにじんでいたりする。

それらのフォルムの表面にも、ベースの堅牢なマチエルの表面ににも、パレットナイフで抉ったように、痛々しい痕跡がいくつも認められる。絵の具の層を突き破って、下地の木の表面がそこだけ傷跡のようにむき出しになっている。画家のやわらかな堅牢な精神の水面に小石が投じられる瞬間である。無意識の奥底にあるかもしれぬ、画家の明晰な精神ですら制御不能な、あの「狂気」の嵐の先端が堅牢なマチエルに抵抗し、そこを喰い破る。その痕跡が波紋のまま残存する。それをあえて残した画家の意志の奥底を私は想像できない。

「古里」の画面に漣がたっている。その只ならぬ波形を画家はその在るがままのフォルムでとどめている。

「抽象派作家」宣言をした四十代の今荘さんはいまは七十代である。30数年以上も、「抽象派作家」という孤独なポジションに身をおいて、格闘し続けたことになる。何に対してなのか。自分という人間精神の不可解に対してである。その精神の軌跡の一端だけがここにそのまま存在する。

5) 「具象派」と「抽象派」との間にある絵画の行方について、占うことはできない。

「絵画」の原点である先史時代の洞窟壁画を起点にして数万年のあいだ人間は絵を描きつづけてきた。誰ひとりとして、絵画表現の、その先を占うことも透視することもしないで、日々の精神の重圧と不安と絶望に向き合いながら、おのれの「脳内イメージ」を純白の平面に純粋に投影することのみを夢見つづけてきた。

さて、私が見たいものは絵画の世界に発見できるであろうか。それは誰にもわからない。



「第33回北海道抽象派作家協会展... T.nakamura - 2006/04/23(Sun) 19:00 No.3772   HomePage

4月22日の午後に市民ギャラリーで開催されている「第33回北海道抽象派作家協会展」を見てくる。

「第1展示室」すぐ左の壁面に、今荘義男の大作が2点。①「2005古里」(180×300)②「2006古里」(180×300)今荘さんと画の前で挨拶をかわす。すぐ右の壁面には三人の作家、横山隆・佐々木美枝子・鈴木薫の作品。横山隆の作品が4点。①「彼方へ4」(183×92)②「彼方へ3」(183×92)③「彼方へ2」(183×130)④「彼方へ1」(183×130)佐々木美枝子の作品が5点。①「作品」(S60)②「作品」(F60)③「作品」(S60)④「作品」(F60)⑤「作品」(S60)鈴木薫の作品が2点。①「記憶の根に聞く」(180×90)②「ある曲の根を聞く」(F120×2)一番奥の壁面には、外山欽平の組絵「アイノサンカ」である。F100サイズのタブローが12枚組み合わされて、ひとつの大きな世界が表現されている。すべての作品はアルファベットの「i」(アイ)をモチーフにしている。そのヴァリエーションの展開である。最後の壁面には二人の作家、服部賢治と熊谷知之。服部賢治の作品は6点。①「作品A」(F100)②「作品C」(F30)③「作品D」(F100)④「作品B」(F30)⑤「作品E」(F100)⑥「作品F」(F30)熊谷知之の作品が6点。①「稔りの地」(150×200)②「地を守護するもの」(200×150)③「遥かな地」(150×300)④「湧きあがる宙へ」(220×180)⑤「風の棲む所」⑥「風の稜景」展示室の真ん中に、近宮彦彌の「ネオン インスタレーション」が置かれている。

「第2展示室」すぐ右の壁面には三浦恭三の作品が5点。①「循環No.32」(F100)②「循環No.31」(F100)③「循環No.34」(F100)④「循環No.30」(F100)⑤「循環No.33」(F100)右奥には、吉田英子のインスタレーション「実と虚(気)」が展示されている。突き当たりの壁面には、二人の作家、あべくによしと林教司。あべくによしの作品は5点。①「記憶の箱(風が透き通った日)青さの中で3」(60×60)②「記憶の箱(風が透き通った日)青さの中で1」(F50)③「記憶の箱(風が透き通った日)Green1」(F50)④「記憶の箱(風が透き通った日)青さの中で2」(F100)⑤「記憶の箱(風が透き通った日)Green2」(60×60)林教司の作品は5点。①「K-U」(90×90)②「K-U」(90×90)③「K-U」(90×90)④「K-U」(73×73)⑤「K-U」(90×90)左奥の壁面には、後藤和司の大作「緑のScene2006Ⅰ」(M100×5)。

14時過ぎ、林教司さんが現われる。直後、「タピオ」の竹田さんが姿をあらわす。14時30分に小休憩。缶コーヒーを飲む。椅子に腰をおろし、「北海道抽象派作家協会小史」を読む。外山欽平さんの「友人の死」を読む。



無題 竜馬@管理人 - 2006/04/23(Sun) 20:29 No.3773  

T.nakamura さま

T.nakamuraさまご自身が素晴らしいホームページをお持ちのようですし、いつも毎日の様に画像入りの短いコメントを寄せておられるサイトがおありなのに、何故この様な書き込みだけ当サイトにされるのでしょうか?

このへっぽこホームページの管理人としてはT.nakamura さまの意図が分からなくて大変戸惑っております。

当サイトが賑わっておらないので、華を添えてくださるお気持ちならご遠慮申し上げたいと思います。

無学な管理人には難しくて良く理解できない高尚な評論は、その高い質のホームページでご披露された方がふさわしいのではないかと思う次第です。



別離の挨拶 T.nakamura - 2006/04/24(Mon) 16:47 No.3774   HomePage

不可解な投稿にたいする疑義、もっともなことと感じ入る次第です。

亭主がそのようにおっしゃられるのですから、客でもない私、お言葉に従い、いざ退散という次第でございます。

わずかな時間でありましたが、身に余る、一期一会の興にあずかり、ありがたく思う次第です。

早々に、退散いたしますので、ひらにひらに、ご勘弁くだされ。これにてさらばでござる。

2007'01.29.Mon
展覧会案内 投稿者:竜馬@管理人 投稿日:2006/04/14(Fri) 12:43 No.3739  
 

3739.jpg ■「第8回 春季二紀展」

会場:東京銀座画廊・美術館
   銀座2丁目7-18 銀座貿易ビル7階~8階
   03-3564-1644

会期:4月18日(火)~23日(日)

時間:10:00~18:00(最終日17:00)

春季二紀展は確か選抜展ですから、会員・同人も全員が出品できるとは限らない展覧会と理解しています。

北海道には伊藤 光悦(絵画)・永野 光一(彫刻)のお二人が委員ですので出品されます。

他に長内さゆみ(函館)さん・当社ギャラリーで昨年の『寒昴展』に選ばれた山川 彩子(札幌)さんが絵画部門で選抜され、彫刻部門は札幌の神谷ふじ子さんが選ばれております。



Re: 銀座の宿から KITA - 2006/04/19(Wed) 08:28 No.3755  

ちょうど同じ会期、同じビルの5階にある東京セントラル美術館で「2006年/新作家展」をやっていて、銀座に来ています。こちらも上野とは別の会員展で、北海道からは佐久間恭子さんと北浦晃の委員2名と、会員の山田一夫さん、今年から新会員の蒲原静子さんが出品しています。昨日の初日には札幌から伊藤光悦さんも来ておられて、見ていただいたり、見せていただいたりしました。



うわーっ!どうしよう・・・ 竜馬@管理人 - 2006/04/19(Wed) 13:16 No.3756  

3756.jpg 北浦 晃 先生 ごめんなさい!

自分では「新作家展」のご案内をしていたつもりで忘れていたのですね。
本当に失礼致しました。お許しください。

このままご案内させて頂きます。


「展覧会案内」



■「新作家展」

会場:東京セントラル美術館
   中央区銀座2-7-16 銀座貿易センタービル(メルサ)5階

会期:4月18日(火)~23日(日)

時間:10:00~18:00(最終日17:00)



行けなくなりました 竜馬@管理人 - 2006/04/21(Fri) 23:15 No.3762  

「春季二紀展」と「新作家展」を休みの土日に上京してみる積りでいましたが、「決算」と「給与改定」の業務が重なり、どうにも動きが取れなくなりました。
この2~3日は『出張中です』と居留守を使わせながら終日パソコンと向かい合っておりましたが、どうしてもひとつだけ仕事が残ってしまい休みですが上京出来ません。

伊藤 光悦先生は「札幌時計台ギャラリー」の個展を楽しみにしています。

北浦 晃 先生には展覧会案内も忘れていて大変失礼いたしました。
当社の若い社員が、私が今日の午後からの会議中に今回の「会員展」の図録をスキャンした画像をまとめてくれましたので掲載させていただきます。

「2006/新作家展」委員の皆様の出品作品と道内出身の会員の山田 一夫・佐久間恭子・蒲原 静子さんの作品をご紹介します。

<委員>
赤塚 徹「光茫の彼方」F80
安喰 宣善「うつりゆく刻」F100
新井 久雄「林を行く」F100
上田 良一「BIVE SHOWER」S100
上野 尚子「風が…」F100
大谷 健一「地景」F100
河口いくえ「ドドドドド」F100
河瀬うた代「ざわざわと」F120
北浦 晃「雄阿寒岳遠望」F120
久米 好江「或る日の風景」P100
後藤 通浩「街に春はいつ…」S100
斉藤サブラウ「灯に残ったものたちの想」F120
坂口富貴子「回想」S100
佐久間恭子「ポン、モイ」P100
佐藤 久恵「春を待つ」F100
澤田 嘉郎「春の傍」F130
白木 建男「風景 06」F100
杉山 繁男「人のいる風景―06」F130
高橋 道男「元・H氏のヒミツ」F100
中島 千剛「ある晴れた日に(エチュード・フィナル」S100
中野 淳「死のある風景」F120
中山 雅子「鳥とぶ里山」F100
根岸 正「夏も終りのハーモニー(Ⅱ)」S80
橋本 清一「街」F100
早川 昌作「早春の大源太」P100
日比野すみ「観自在」F100
本田久一郎「網(末廣)」F120
宮本 秀信「座標」S100
森吉 健「夜の記憶」S100
山川 美代「燃える花 2006―ハートの花」S100
山口 美佐子「情景」F130
由利 耶一「北のアトリエ」

<会員>
蒲原 静子「光る石」F130
山田 一夫「残像天に向いⅡ」F130



春季二紀展 竜馬@管理人 - 2006/04/23(Sun) 15:19 No.3771  

同じビルの違う会場で展覧会をしていた新作家協会の北浦 晃 先生が「春季二紀展」の伊藤 光悦先生と山川 彩子さんの作品画像を送ってくださいましたのでご紹介します。


伊藤 光悦「アンデスの村」 山川 彩子「landscape」



一昨年の後半から伊藤 光悦先生の絵に変化の兆しを感じておりましたが、今回は明確に感じます。

2007'01.29.Mon
神田 日勝記念美術館案内 投稿者:竜馬@管理人 投稿日:2006/04/19(Wed) 15:46 No.3758  
 

既にご承知のことと思いますが、「神田日勝記念館」がこの度「神田日勝記念美術館」に名称変更いたしました。
以前は夏季前面開館であったのも月曜日と祝日の翌日(土日と重なる時は開館)休館に変更になりました。
菅 訓章さんより二つの展覧会のご案内を頂いておりましたので遅れましたが掲載させて頂きます。

higa.jpg
版画作品による「東山魁夷の世界」

会場:鹿追町民ホール (神田 日勝記念美術館隣接)

会期:4月22日(土)~5月7日(日)

時間:10:00~17:00

平成11年に没した日本画の巨匠 東山魁夷の作品を展示いたします。



kai.jpg
十勝の美術 ― 鉛筆画の世界「私の釈迦十大弟子」原画(多賀 新) ・「仮面の世界」(府川 博章)

会場:神田 日勝記念美術館

会期:4月25日(火)~5月7日(日) (月曜日休館)

時間:10:00~17:00

料金:大510円・高300円・小中200円

十勝の本別町出身の多賀 新 さんと府川 博章さん(二人は本別高校の同級生)の展覧会です。
多賀さんが千葉県市川の東山魁夷さんのご自宅と近所に住まわれていたことから、ご自身と東山魁夷の展覧会を開催することになったそうです。
多賀さんと府川さん、東山魁夷と多賀さんという二つのコネクションがこの展覧会の原動力なんですね。
府川さんは海外の仮面の収集と研究をされている方で、仮面何とか会の北海道支部長をされているとのことです。
いい加減情報で申し訳ありません。
多賀さんが鉛筆画の展覧会をするとの事を聞き、「それなら自分も仮面の鉛筆画を描いたのを20点くらい持っている」ということで参加されたと聞きました。
恐らく菅 訓章さんの仕掛けでしょう(笑)
札幌でもなかなか見れない展覧会だと思います。
ゴールデンウィーク中に、多分混むだろうけれど行きたいと思います。
無茶苦茶スピードの出る車を提供しますから運転をしてくれる方募集します。一緒しませんか?(笑)

2007'01.29.Mon

展覧会案内 投稿者:竜馬@管理人 投稿日:2006/04/14(Fri) 13:03 No.3740  
 

3740.jpg ■「北の創造者たち展 Lovely ~らぶりぃ~」

会場:札幌芸術の森美術館

会期:4月15日(土) → 5月28日(日) (4月は月曜日休館・5月無休)

時間:9:45~17:00(入館は16:30まで)

料金:一般800円・高大400円・小中200円

北の創造者たち展も第10回目の記念の展覧会になりました。
今回のテーマは小さく可愛らしいもの、まるくふくよらかな姿など可愛らしいものに添った作品を展示しているとのことです。

メンバーは彼方アツコ・樫見菜々子・佐々木雅子・設楽 知昭・堀 かをり・松村 繁 ・松原 茂樹・森迫 暁夫の皆さんです。



展覧会 竜馬@管理人 - 2006/04/18(Tue) 13:26 No.3751  


3751.jpg ◆「北の創造者たち展 10th Lovely ~らぶりぃ~」

最初に申し上げておきますが、「とても面白い!」と感じました。
何度もお話したことのある方は彼方アツコさん一人。作品と作者の顔が一致するのは佐々木 雅子・松原 茂樹さんだけでした。
他の5名は不勉強ですがお名前すら知らない方々でした。
札幌芸術の森美術館の館長にご挨拶しなければならないことがあり、確実におられるオープニングに出席しての観覧でしたが期待以上の展覧会でした。

8名の作家がそれぞれ仕切られた展示室に自分だけの展示空間を造っており、強い作品勝ちの合同展ではありませんから各々のテーマに添って個性的な空間となっておりました。
順路に従って数点ずつ作品をご紹介します。

【樫見菜々子 インスタレーション】
「~らぶりぃ~」というテーマに相応しく柔らかく、ホワッとした感じの毛糸を使ったインスタレーションでした。

12300e84.jpg
展示風景1
2.jpg
展示風景2
49f46bd9.jpg
展示風景3
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展示風景4
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拡大写真



【堀 かをり 手芸】
【】内のジャンル分けは美術館の発表に従ったものです。
堀さんの作品が(単なる)手芸と位置づけるものなのかどかは他の作品を見てきていないので管理人には分かりませんが、とても心地よい空間に仕上がっておりました。
作品の主人公は全て兎です。蜜蝋・布・真鍮・おが屑などを使用しておりましたが、膠かもしかしたら漆等も使っていたのではないかと思います。
ご主人が「照明家」とのことで、そのご主人によって照明を当てられており、作品効果を高めておりました(「作品1」「作品2」)。
人形単体としての作品(「作品3」「作品4」「作品5」)のほかにも、BOXアート作品も2点(「作品6」「作品7」)展示しておりました。
BOXアートの方はとてもよくまとまってはおり、良い作品と感じます。
ただ少し整いすぎている部分がこれからの課題かと思いました。
それよりも、インスタレーション的に展示してあった人形はある種の不気味ささえ感じるもので、何倍もの規模での展示を見てみたいと感じました。

【森迫 暁夫 イラストレーション】
道外作家(北海道と何らかの関わりはある)と伺いました。
イラストがアートなのかどうかという部分では管理人の意識が低いのか偏見を有しておりました。
正直言うと真剣に見たことすらありませんでした。
今回はある種の感動を受けました。
大きな作品は持参したカメラでは雰囲気を伝える写真が撮れませんでしたが、結構な迫力でしばらく見蕩れました。
作品の雰囲気だけご紹介します。

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展示1
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展示2
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展示3
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展示4



【松村 繁 絵画】
超写実の分類に入るのでしょうか?
大勢の観覧者が熱心にみておりました。
不思議な感覚の絵とは思いましたがLovely ~らぶりぃ~のテーマとは?

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作品1
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作品2
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展示3



【松原 茂樹  陶芸】
札幌芸術の森美術館では初めての陶芸作家の展示とのことでありました。
北広島に窯を置く陶芸家です。
どうしてこの方がLovely ~らぶりぃ~なのか不思議でしたが、全ての作品のフォルムが丸みを帯びており、尚且つ蓋物に小動物が付けられておるのをみて納得(「作品1」「作品2」「作品3」)いたしました。
因みに松原さんは今展覧会の最年長、お顔はLovely でした。

【設楽 知昭 絵画】
この方も名古屋の作家であるとのことです。
美術館の解説のジャンルは「絵画」でしたが、「透明壁画」とタイトルにあり、技法は分かりませんがとても興味深い作品でした。一度詳しく教えていただきたいと思いますが、今回の展覧会のテーマとの関連性は全く感じませんでした。
学芸員としてはやってみたい作家だったのでしょうね。
写真ではこの作品の特徴をお伝えできないことをお断りした上で、画像をリンクさせます。

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壁面1
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壁面2
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壁面3



【彼方アツコ  版画】
最近の彼方さんの仕事を見ていると、版画をベースに表現分野に広がりを見せておりましたので少し別な作品を出してこられるかと想像しておりましたが、ベーシックな版画の展示でした。
恐らくテーマのLovely ~らぶりぃ~を意識した作品を並べたのでしょうか。
当日お会いしましたし、お話もしたのですが、今回の展覧会に関することは何も聞かずに別れてしまったことに今気がつきました σ(^_^;) 。
彼女のコーナーも多くの方々が集まっておられました

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作品1
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作品2
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コーナー3
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コーナー4



【佐々木 雅子 彫刻】
かって管理人の家人が拝見して作品に注目し、何度か話を聞かされておりましたが、グループ展で何度か拝見しておりました。主にあのちょっと怖い赤ちゃんの彫刻
(その2)や、それを使ったインスタレーションでしたが、今回の展覧会で佐々木さんの多才さを改めて認識させられた気がしました。
作品の数々の中から数点リンクさせます。

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作品1
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作品2
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作品3
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作品4
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作品5
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作品6



写真の不備もありますから「面白い」と感じた内容が十分には伝わらなかったかも知れませんが、一見の価値ありです。



Re: 展覧会案内 usagicchi - 2006/04/19(Wed) 05:10 No.3753  


堀 かをりさんの作品2,見入ってしまいました。私が陰になっての行列していました。陰もアートですね。
久々のながーい,管理人様の黒文字,十分関心の高さが伝わってきましたよ。(笑)



ウサギの大行進 竜馬@管理人 - 2006/04/19(Wed) 05:51 No.3754  


沢山のusagicchiさんの一族とお会いしましたよ。

「作品3」のウサちゃんは、同じ兎でもusagicchiさんより働き者ですね (笑)。

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