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展覧会情報(旧ギャラリーどらーる掲示板より)

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2007'01.15.Mon
川畑 盛邦展 投稿者:久保AB-ST元宏 投稿日:2004/09/24(Fri) 14:46 No.1941  
 

~~表情の彼岸 風景の告白~~

人物画である。しかし普通の人物画を描く画家とは、まったく違う興味で描かれている。
じっと絵を見ているとまるで騙し絵に隠されている人物を探し出すかのように、画面から人の存在がいくつも浮かび上がってくる。
まるで日常の風景に潜んでいる幽霊の姿が見え出すかのようだ。または、目の前の人間が霞みだして、風景に溶け込んでゆくかのようだ。

その境目のバニシング・ポイントを描き留めた作品群なのだが、そのあわいの世界に漂う半透明の存在が人物でなければならなかった点に作者の興味の中心が潜んでいるのであろう。
たとえば、人物ではなくて、静物でも建築物でも動物であっても良かったはずである。
人物とそれらとの最も大きな差異は表情を持っているかどうかである。
しかし、川畑は人物の最大の特徴である表情を描かない。
また、普通の場合に画家が人物画を描きたくなる衝動を準備するのは、魅力的な顔やポーズである。
それらをまとめて、「表情」と呼んでも良い。
だが、やはり川畑の描く人物からはストイックなまでに表情が削り取られている。
私の言う意味は具象の人物画が、茫洋とした曲線の抽象化や図形化によって表情が無くなるというのではない。
たとえば油の上に鉛筆の線で描かれる顔や手の指には高水準の描写技術が披露されている。
その描写でさえ表情が目的なのではなく、ガスになって消え行く幽霊の存在証明として必然のために選ばれた技法としか思えない。
人物でなければならなかった理由を探るヒントが絵の題である。
作品はほとんどが「風景03-2」のように、「風景」と日付の組み合わせである。
人物画の題を「風景」とすることにこだわった点に、作者の強烈なメッセージがある。
だれもが倦怠期の中年夫婦のイイワケのように、人間を「(アタリマエの)空気のような存在」に感じることがあるだろう。満員電車から吐き出される群集に表情を捜す趣味を持つ者はいないだろう。
ところが、川畑が立ち上るガスのような人物を愉楽を持った配置で描き並べた時、彼がそこに小さな円を描けば求道的に見えるし、そこに三角形を描けば人類の愚かさと知恵と希望を同時に複雑に象徴しているピラミッドに見えてくる。
人物の表情を削り去った時に見えてくる「風景」が、大きな表情を持って私たちに音楽を差し出すのだ。



Re: 川畑 盛邦展 竜馬@管理人 - 2004/09/24(Fri) 16:07 No.1942  

久保さんは面白い視点で分析されますね。
私なんかは想像力(創造力?)も分析力も乏しいせいか『ヘェー、そうなのか』と感心してしまいます。

先日、北海道教育大で川畑さんを教えた鬼丸 吉弘先生をご案内した折に、独特のかすれる様な小さな声でこう話しかけてくださいました。
『川畑君は絵が上手くなりましたねぇ。学生時代からきれいな色使いでしたけれど、こんなに上手くなるとは思いませんでした』

私は昔からトップレベルの画家と思っておりましたから、鬼丸先生のお話に相槌すら打てないで黙っておりました。
先生の「上手くなった」の意味合いが、絵画的に深いところでのお話と受け止めましたが、何か鬼丸先生の感動が“グッ”と伝わってまいりました。
2枚だけ顔どころか人物像すら明確でない作品(作品1作品2)がありましたよね。
抽象画の範疇に入れても良いのではないかと思った作品ですが、先生はその絵の前で、『人物は顔や目鼻を描かなければならないことなんか無いんですよねぇー』とも仰っておりました。

久保さんの評論に対する肯定でも否定でもないことを訳ありそうに書いてごまかす竜馬@管理人でした。

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