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いーとあーとブログ

展覧会情報(旧ギャラリーどらーる掲示板より)

2024'04.20.Sat
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2007'01.11.Thu
オープニングパーティー 投稿者:竜馬@管理人 投稿日:2004/05/02(Sun) 00:44 No.1346  
 

1346.jpg 今月の個展「 林 亨 展」のオープニングパーティーを先ほど終えて戻って来ました。

なかなか面白いメンバーで楽しんで参りました。

撮影したスナップは150枚以上ありまして、この画像処理は今終えましたが、サーバーに書き込むことは今晩は無理。
明日午前中にアップします。
そして、午後からニセコの温泉に2泊の予定で湯治に行ってきます。



史上最強の部外者 久保AB-ST元宏 - 2004/05/04(Tue) 00:16 No.1347   HomePage

1347.jpg ■いつも貴オープニング・パーティに誘われ、いい気になってノコ&ノコとお邪魔している私ですが、「史上最強(=最悪?)の部外者」として今回もお世話になりました。ありがとうございます。

■当日は、『林亨展』も含めて竜馬管理人様のお勧め展覧会を3つ見させていただきました。
大変、遅くなってしまいましたが稚拙な感想文を書いてみましたので、読んでいただければ幸いです。
願わくば、読んだことにより、湯冷めせぬよう~。



近代日本画にみる女性たち 久保AB-ST元宏 - 2004/05/04(Tue) 00:30 No.1348   HomePage

1348.jpg 展覧会『近代日本画にみる女性たち』

~女と着物・・・ストロークの共犯~

▲明治から昭和までに描かれた、広範囲の画家の変遷を着物女性モデル画で集めた。
普通なら私の趣味ではないが、面白かった。
昭和初期までは着物を着た女性は日常的に見ることができたが、高度成長期以降はレアな存在となる。
例えば私の生れた1962年の伊東深水『ささやき』になると着物の女性は、芸能の世界のみになる。
それでも1916年の寺島紫明『夕月』には世紀末ウィーンの香りがして世界との同時代性を感じさせてくれるスリリングな見方も発見させられた。
そもそも着物そのものが芸術作品である。それを描くのは擬似模写でもあるのかもしれない。でもこの展覧会は着物女性に魅せられた画家が現在に至るまでかくも大勢いることを証明したのだ。
大量の同じ素材の作品群を見て私は着物のシワが作り出すストロークの面白さに気がついた。そもそも画家の初期衝動とは、筆が伸びる時に生れるストロークの快楽だと私は思う。着物とは、繊細かつストイックかつソフィストケイトされた、「芸術作品」であろう。
それをヌードの女がまとった時に布が肉体のストロークされた線を消すと同時に消されたはずの肉体の線が、着物のシワや布の曲線によって「再生産」された奇蹟こそが、着物を着た女性なのだ、と私は思う。ここで思索の補助線として「画家は、着物を描きたかった」のか「女を描きたかったのか」と自問しながら会場をもう一度回ってみる。ああそうか。着物が作るストロークは女の無意識である。
「女の無意識」こそ男の惹かれるものだよな(笑)。画家は悔しいので女には告白はしないが、「女の無意識」にヒレフして着物画を何度も描いてきたのだろう。
そして展覧会の最後に私たちが見せられるは現在は世界的に高名な舞台美術家の朝倉摂の1955年の美人画だ。もうここには、着物や女が産む無意識のストロークは無い。ただあるのは朝倉摂自身の自意識のストロークである。女はモチーフから作者へと、キャンバスを回転させたのだ。



小川マリの世界 久保AB-ST元宏 - 2004/05/04(Tue) 00:42 No.1349   HomePage

1349.jpg 展覧会『小川マリの世界』 62点出品

~死なない枯葉~

▲20世紀が始まった1901年に生まれ現在も車椅子に乗って活動している北海道画壇の”生き証人”の大掛かりな回顧展だ。
敗戦の年に行われた彼女の結婚式に友人画家が大勢集ったのが全道展設立の契機となったり、今の北海道の画壇の最長老の80歳代の画家たちが彼女の弟子や影響下にあることなどを考えても、恐るべし102歳の老婆だ。
全部を見終わると、5年刻みで変遷してゆく画風の変化が誰にでも分るように、時系列に展示されている。なんてったって1世紀分。
2階へ行く螺旋階段から展示室全体を見下ろすと、そこには20世紀の無意識の変遷の年表が壁にグラデーションを作っているかのようだ。
初期の絵として1930~2年頃の油彩『女子大風景』がまずは目を引く。「初期」と言ったって歳は、三岸好太郎やモーツアルト
にしてみれば「晩年」である(笑)。恐ろしい。
長生きしたために晩年ではなくて初期の作となったコレは「黒」の使い方に非凡な個性を見せてくれる。この「黒」はビュッフェの勢い、
マネの悪魔的誘惑にすら通じる魅力がある。
その後は、しばらくは凡庸な作品が続き、少々タイクツしかけた私の前に1955年作の『秋』と『黄色い静物』が時系列ベルトコンベアーの
彼方からゴツンと登場する。特に後者の画面全体に上品なイラダチ(?)のように覆う黄色いベール(=影?)は印象的。
今展覧会は、まるで伝記のように構成されていて、時系列に並んだ絵のポイントに画家が過去に話したり書いた当時の思い出を短くまとめたパネルが添えられていてとても親切である。1955年の作品群にも「1952年の国際美術展を見てあまりにナチュラルであることに驚いた。それまでの私は、フォルムの考え方がイージィだったのか、必然的に幾何学的な形態の基本を描かなければならなかった。」と言う趣旨の当時の考えが添えられている。
つまり『女子大風景』で使われた、魅力的な「黒」の否定でもある。1955年の2作品の前で足が止まった私は、しばらくすると先ほど見た朝倉摂の絵を思い出した。まるで当時のボーボワールに触発されたかのような女流作家の大胆な自意識。男の世界では陳腐な「55年体制」が生れたこの年に、女たちは何を発見していたのだろうか?また、摂とマリの間に交流はあったのだろうか?1960年代に入ってから
大柄な花の絵が続き、少ない知識から私は三岸節子からの影響を連想したりもする。女が還暦を越えるとはこーゆーコトか?などと。
しかし大柄な花は大きく膨張し過ぎ、宇宙へ拡散したかのように1982年『野ばら』が突然出現する。ここでは「あまりにナチュラル」の究極の姿であるかのように、もはや輪郭すら無い。普通の画家であるならば、これが到達点であっても良かった。しかし、彼女はさらに長生きする。
1988年『むべ小枝』では、細い筆でキャンバスを叩いて出きる短い偶然の線が作り出す造型が面白い。叩くことをイラダチと感じさせない点が、1930年『女子大風景』で見せた知的な黒、1955年『黄色い静物』で見せた「上品なイラダチ」の黄色を思い出させてくれる。そう。彼女の画歴も当然、連動しているのだ。黒、黄色と年齢を重ねてきて彼女が今、到達している色は青だろう。細い筆で青を叩いていた90歳代を終え、ついに彼女は叩くことを止める。それを「できなくな
った」と言い換えたくない逞しさが、2001年『静物』には宿っている。ついに、100歳だ。
ここで彼女は叩かずに、こする。ここで創造される、ぼやけた青の美しさは年齢を重ねることの美しさを教えてくれる。
今展覧会での最新作、2002年『枯葉』に描かれているのは、”死なない枯葉”ではないだろうか?
こすられて白に近づく青は、美術史上初めて、枯葉を希望のメタモルフェーゼとして描き得た画家を生んだのだ。



林 亨 展 久保AB-ST元宏 - 2004/05/04(Tue) 00:54 No.1350   HomePage

1350.jpg 展覧会『林 亨 展』 オープニング・パーティ

~無意識の責任~

▲それは「手続き上の」とか「行政上の」とかゆー「説明」のインタビューが、テレビに繰り返したれ流されていた週末だった。またもや
本質の議論は怠惰に放置され、映像として面白い部分のみが拡大再生産されている。今回は年金問題だが、これまでもズーッと、こんなコトの繰り返しだった。
年金を未納した政治屋のイイワケを聞いていて、「無意識の責任」とゆー言葉が私に浮かんだ。つまり、無意識は自我の蓄積の子であるので無意識が生んだアヤマチは、最も罪深いのでは?

林亨の作品は目をつぶった時にまぶたの裏に見える映像がモチーフかもしれない。
それは、それまで見ていた風景の「残像」であったり、まぶた裏の血液の「実像」であったり、夢の記憶の「虚像」であったり、それらが有機的に融合された化学反応の「映像」であったりするのかもしれない。
それを林は抽象的な色を何度も重ねた和紙を、わざとシワを作りながら板に貼り、シワをこすりながら貼る作業が重ねた色の下の色をランダムに「再生」させ、「共生」され、さらに貼り終えた上に原色をドロッピングすることで、重層的な偶然を人工的に演出するという彼なりの方法で「まぶたの裏の世界」を、密室から野外へと解放してみせる。
重要なのはその化学室的(?)なアイディアの質や成功を問うのではなくて、作家がオトシマエをつけようとした「無意識の責任」への量であると私は思う。
それは何も、抽象的な議論ではない。結果生れた、大量の作品こそが「偶然の対価」であると思う。
私が20年前に作った「白い夏」とゆー曲の中に
「メクラが見る夢を一度見てみたくて 自分の瞳をつぶしてしまった♪」とゆー歌詞があるが、林の作品は、目を開けたまま見る、目を閉じた世界であるのだ。
この作品の前で目を閉じることは、目を開くことになるのかもしれない。そして何度もまばたきを繰り返しているうちに、そのどちらの世界にいるのかが、判然としなくなくなる。
その時こそ、無意識が街に解放される時だ。

今回、オープニング・パーティに参加させてもらって、例によってタダ飯タダ酒をむさぼった私だが、そこで聞かせていただいたスピーチ
には、前芸術の森美術館館長によるポロックや、吉田豪介氏によるデュシャンとの比較が語られた。
もし、林の作品が「前衛」であるとすれば似た作品を探すのは容易だ。単なるギミックを言うのであっても私はデュシャンの『泉』は見ていて気持ちがいい。たとえオチの分っている落語でも何度も笑える「才能」を持っているのが人間という動物である。林は、次に金箔を使うことへの興味を私に吐露していたが、ここまで重層を重ねている作風が金に手を出すと下品になってしまう危険もある。
と、言うか私は彼に言われるまで作品に金箔が使われていないことに気がつかなかった。
もしかしたら、貼られた金箔をはがしたとゆー作品であると私は見ていたのかもしれない。
描かれたことよりも、はがされた多くを連想させる作品。それこそが私の言う「無意識の責任」への量である。
そしてそれは作家には少々残酷だが私が1月に初めて彼の作品を見た時に思った感想、「(作者が)このシリーズに飽きた後の作品が見たい。」にまでもつながって行く。
目を閉じることと強制的に目を閉じさせられることの差。たとえばそんな展開が今後あるのではないかと思いながら、強制的に目を閉じさせられた「自己責任」の日本人人質のことを思っていた私は擬似的な目を閉じる場所としての「暗闇」を思い出した。
全ての色を含んでいる「黒」。
それは子供の頃に父親にしかられて強制的に入れられた「押入れ」を連想してしまう貧しい脳味噌の私の再発見なのだが、そこまで考えていたらパーティのスピーチでギャラリーの坂本社長が「林さんのお父様はカメラマンでして、先日の個展はお二人の作品のコラボレーションでした。」と言い出した。
あわてて私が林画伯に聞くと、彼の父は釧路の国鉄マンではあったが、カメラ雑誌『アサヒカメラ』の年間最優秀賞を受賞されるほどの腕前だったそうだ。で、子供の頃父が押入れにこもって写真を現像していたが父の一番の思い出だそうだ。う~ん。私のように、しかられて入ったネガティヴな「押入れ」ではなくて、なんて生産的でゲージュツ的な「押入れ」なんでしょう!
林は少年時代、押入れの暗黒を削るかのように、黒の向こうにある色
を、のぞいてみようとしたのではないのか?
そこに父親を慕う彼の優しさがあり、同時にあれほどの暗黒を連想させる作品なのに、悪魔性が欠けている秘密をのぞき見したよーな気もする。
そして、それも「無意識の責任」なのであり、そこから彼は逃げないのである。

パーティの後半は恒例のダラダラ飲み会(笑)になった。
ワイン・グラスを片手に坂本社長と話をしていると、明日からのゴールデンウィークに社長の長男が久し振りに東京から帰省するので、
一緒にニセコの温泉に行くのだ、とゆー話をうかがう。
な~んだ、社長も息子を思い出して、画家の父親の話を「無意識」に出したのか。



1600文字目を閉じて 久保AB-ST元宏 - 2004/05/04(Tue) 01:03 No.1351   HomePage

1351.jpg ■少々、長くなってしまいました。
まぁ、そんなワケで林画伯のオープニング・パーティを楽しんだ後、朝の4時過ぎまでワインのボトルを何本も空にする作業に追われ、おかげで翌朝はソルマックのボトルを空にするサービス残業をしてしまった私です。

■それでも日中は、太陽の下、「さとランド」で羊とたわむれました。
どうやら、今は羊の毛刈りの時期らしく、ハダカの羊がたくさんいました。
そろそろ、私にも毛刈りのシーズンかな?と、貴HPのオープニング・パーティのスナップ写真を見ておもったしだいです。
そんなアフター・ケアも含めて、本当にありがとうございました。



Re: オープニングパーティー 竜馬@管理人 - 2004/05/05(Wed) 07:27 No.1359  

二人のお嬢さんも元気そうでなによりです。
クタビレタでしょう?
若林博士も夜明かしで飲んだのですか?私と同じ歳ですよ、スゴイな~。

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