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展覧会情報(旧ギャラリーどらーる掲示板より)

2024'04.20.Sat
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2007'01.26.Fri
展覧会 投稿者:竜馬@管理人 投稿日:2005/10/12(Wed) 22:29 No.3378  
 

3378.jpg ◆「伏木田光夫油絵個展」 札幌時計台ギャラリー

全道展会員の伏木田光夫さんの個展を観て参りました。
いつもながらのことですが作品点数の多いことには驚かされます。
今回札幌時計台ギャラリー2階のA室~B室~C室の全室を使い、さらに廊下まで飾っておりました。

何せA室では大小31点が展示されており、B室でも23点
C室でも24点が飾られておりました。
更に廊下にはサムホール10点を飾っており、私が数えたのでは合計88点がの一大個展でありました。

そして、更に驚くのはその殆どが2005年の作品であったことでした。
全道展の重鎮の方々には親しく教えを頂いている方が多い中で、伏木田先生とは今まであまり接点がなく良く存じ上げないので驚きました。

「北海道では僕が一番沢山描いているかも知れないけれど、ヨーロッパに行けば僕の10倍くらい描いている作家は沢山おりますよ」とのことでしたが、「やはり描いて描いて筆を持つ手が自然に動くようでなければいけないのです」という言葉や、「北海道の作家は頭で描いている人が多く、深くて哲学的かも知れないけれど、その分絵が重くなっておりますね」との言葉も伏木田さんだから言える言葉かも知れません。

更に「最近の若い方は画肌重視の風潮も強くて、ナイフで絵の具を塗ったくったり、何で絵の具を塗っているのか分からない作品を多く見ます。概して絵が汚いですね」ともおっしゃっておりました。

浦川の「伏木田光夫美術館」には常時350枚の作品を置いているのと、ご自身の作品保管庫は「3,000枚の作品を置ける設計をしたのだけれど、最近それを超えてしまいました」とのことです。
作品は88点の作品数を見た段階で画像UPすることを諦めました。



頭をかく 久保AB-ST元宏 - 2005/10/13(Thu) 03:07 No.3379   HomePage

3379.jpg >絵が汚いですね

■どんな絵を語る時にでも、言葉を慎重かつ大胆に(がくっ)選ぶ習慣が付いてしまった私たちですが、伏木田さんの絵を語る時は、それまでの言葉の意味が変わる瞬間を何度も経験している私です。
たとえば、私の使う言葉として、伏木田さんの絵が「汚く」感じる時があります。もちろん、これは悪い意味ではなく、エネルギーを感じる・とゆー意味が産み&選んだ言葉です。
今回、私が画像添付させていただいた作品「窓辺の赤いテーブル」は、そんな中でも「汚く」ない作品と、私は感じました。
そしてまた、そう感じ、その言葉を選んだ時ですら、「汚く」ない・とゆー言葉もまた、伏木田さんの作品世界の中での相対的な位置を与えられれた言葉なのですね。
その証拠に「汚い」絵を観続けた後で、「窓辺の赤いテーブル」のように、やや整理された作品に出会うと、ハッとさせられ新鮮な感動が浮かび上がってきます。と、同時に、「ああ、もっと汚い絵が観たい!」という相反した気持ちが私の中から浮かび上がってきて、伏木田さんの恐るべきエネルギーに自分の言葉を「汚して欲しい」とまで感じてしまいました。

作品が、言葉の意味をズラし、
言葉が、作品に近づこうとする。

それは不幸なことではなく、コーヒーの湯気のようなものなのでしょう。
膨大な作品を描き続ける伏木田さんの圧倒的なエネルギーに囲まれた札幌時計台ギャラリーの2階で、ギリギリのところで私の言葉も迷子にならないで無事、帰還いたしました(笑)。



恥をかく 竜馬@管理人 - 2005/10/13(Thu) 10:57 No.3380  

3380.jpg 先週末からの「やり取り」に沈黙を守っていた久保さんの今日の書き込みは、「ちょっとした言葉の選択」に対する私の対応に対する批判を込められたものだとは思いますが、それに対する回答になっているのか、なっていないのかは私のレトリック能力不足ゆえにご容赦ください。

私は「“金”の為ならいつなん時でも相手が誰でも頭を下げる」と会社では広言して憚りませんでした。
これを聞いた方の大半は「何たる奴だ!守銭奴か」と思われるでしょう。
これは“金”の意味が少し違っておりまして、私人の私は金が不要とは申しませんが、プライドを崩してまで欲しくはありません。
しかし、百数十人の社員の生活がかかっている会社の社長としては、個人の意地やプライドなんかよりも会社の収益が問題なく優先します。問題が起きた時などはこんな頭で良いのなら何時でも下げますという意味でした。
その収益の部分を社内では“金”と表現していたのです。

そして、私のパソコンの「ユーザー辞書」に数百の文字や記号が登録されております。
社員全員、主だった画家さんなどもパッと思いつく言語や記号で入れてあります。
内緒ですが(内緒にならない)、「はげ」と入力すると3名の名前が入っていたり、「きんび」と書き込めば「北海道立近代美術館」と瞬時に出てきます。
因みに「くぼ」と入れますと「沼田町の怪人」というのと「沼田町のエセ文化人」の順番で文字変換がされます(笑)。
場合によっては「しろ」と書き込めば「黒」と変換させることも普通な訳です。
個人的生活の場面では一般概念と異なる言語表現を沢山しております。

絵画の場合は森羅万象を一般的に我々が受け止めている色彩や形状と全く違えて表現しても(基盤としてのデッサンがあっての話だと思いますが)成り立つとは思います。
でも言語で広範な方々に表現する場合は難しいですよね。
もし、久保さんの様に
>これは悪い意味ではなく、エネルギーを感じる・とゆー意味が産み&選んだ言葉です。
という注釈無しに
>伏木田さんの絵が「汚く」感じる時があります。
と書きましたら「喧嘩売っているのか!」となってしまいます。

ちょっとした解説不足が誤解を生む怖さを申し上げたかっただけだったのですが・・・。
最近、その恐怖に「インターネットに文章を書けない病」を患っている小心・痩躯の竜馬@管理人です(笑)。



レ・トリック・スター 久保AB-ST元宏 - 2005/10/13(Thu) 12:48 No.3381   HomePage

3381.jpg >解説不足が誤解を生む怖さ

■そうですね。
それは、しゃべり過ぎた飲み会の翌朝、意味の無い後悔みたいなモノも含めて、バベルの塔の住民の宿命ですね。

■ただ、「誤解」や、(先日の『渡辺貞之展・感想文』での拙文にも使わせていただいた)「誤読」すらも楽しめるのが、営利企業とゲージュツの違いなのかもしれません。
言葉(と、ゆーか、全ての表現)は多義的である運命から逃げられません。それは言葉に付随する解説のクオリティとはまた別の事実ですよね。

>北海道の作家は頭で描いている人が多く

■多義的なイメージを(とりあえず)完成させた設計図のような作品へ向かうのか、もしくは、多義的なイメージを多義的なままに「沢山描いている」かの違いはあるかもしれません。
伏木田さんは、その後者なのでしょう。

■添付させていただいた画像は、今回の個展に足を運ばれた方であれば印象的であったと思われる、二対の作品です。
まるでアンディ・ウォーホルのシルク・スクリーンの遊戯を感じさせてくれますが、これもまた「多義性」の放出であられると思います。
ご承知のように、ウォホールも本人が無理して演出しているほどデジタルな画家でもなく、かなりアナログな努力&苦労をしてきたのですが、伏木田さんはモロ、全てアナログで突っ走っていますよね。
内面の多義性は、全ての人が持ってはいるのでしょうが、それを全て作品として放出しなければ気がすまないようなエネルギーと、その超個人的な多義性を多くの人が興味を持って観たくなる作品に仕上げる時には、「才能」という言葉を思わず使ってしまいます。

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