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いーとあーとブログ

展覧会情報(旧ギャラリーどらーる掲示板より)

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2007'01.29.Mon
リクエストに応えて 序論 国松... 投稿者:栄通 投稿日:2005/12/23(Fri) 15:36 No.3520  
 

 (十二月二十一日 ニュー高砂温泉駐車場より旭川の夜景を見ながら)

 一目会場を観回すなり、綺麗におさめるもんだな、彫刻家といっても何でもできるんだなー、という思いにとらわれた。

 ここの空間は主に壁面作品を中心に、個展単位で作品・作家を紹介している。国松さんはそういう個展歴・壁面性をかなり意識して自分の主張・美学を表現したようだ。作家とはそういうものだが、氏はモニュメンタル(公共空間を生かした作品展示)な仕事をされているので、場の強制力は絶対条件だ。かつ、今後とも室内の小空間を自作だけで埋めて個展をすることに、あまり感興がわかないのではなかろうか。そういう意味で他人の強制力で個展が実現できて、本人にとって意外であり、普段とは違ったチャレンジ精神が働いたのではなかろうか。

 壁面性という課題は制作が進むうちに、父・登氏を想起させたのではあるまいか。「父親と同じ油彩画家だけにはなりたくない。」 それが彫刻家を選んだ動機だと聞く。そこには、どっぷり浸かった父親の美えの親近感・反感・抵抗・独立心・・・青年期には必ず起こる思いだ。氏も五十八歳。はからずも子息が彫刻家の道を歩んでいる。自分という存在が二律背反的なものになっている。
 氏と登氏との作品における関係はどうか。今展でそれが確認できる。造形性における近似性・親近性は今作品群だけでなく意外にも通奏低音のように流れていたんだなと思う。そういう意味で今展は、『父を想いて、or国松登えのオマージュ』といえよう。 

 登氏の造形性の面白さはあるが、画面に漂う北国えの想・ロマンチシズム・女性好み・家族愛、そういう情緒的側面が明日香氏にどう働くのか。自己検証後のこれからの作品にそのへんを気にすることにしよう。

 来春、子息・希根太君のグループ展がここで開かれる。私はガッカリしている。希根太=根っこの太い男にそだてよ。一本立ちのすがしい男になれかし。そういう夢と強さを込めた父親のおもいである。表現者の紹介で家族性を前面に出さないほうがいいと思う。なんだかんだいって家族は子どもに弱い者である。甘い者である。下げなくて済む頭も下げる者である。他人が公的場でそういう関係を助長してはいけないと思う。特に表現者は個を問はれる存在だから。

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