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いーとあーとブログ

展覧会情報(旧ギャラリーどらーる掲示板より)

2017'10.18.Wed
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2007'01.20.Sat
布団のあとさき 投稿者:久保AB-ST元宏 投稿日:2005/02/26(Sat) 18:17 No.2645   HomePage
 

『寒昴展』
會田 千夏   全道展(東京)
川畑摩沙子  道展会友(札幌)
山川 彩子   道展会友(札幌)
ギャラリーどらーる 2005年2月

~~ 風景の体温の私有化 ~~

 真冬の休日の朝。
 布団の中で思うのは「風呂に入ってから除雪をしようか」、それとも「除雪をしてから風呂に入ろうか」ということだ。
 厳寒の世界に入る時、風呂上りの火照った体であれば寒さはむしろ心地よい刺激になる。もしくは、髪に寝癖が残ったままに布団から一気に屋外に飛び出した体が冷え切った後に入る湯温42度の風呂からは肉体の再生の喜びを味わうことができる。このどちらを今朝は楽しもうかと、布団の中で怠惰に悩むのも、それが休日であるからこそのこと。

 會田千夏が描くのは、「風呂に入ってから除雪」をした絵だ。
 それは楽園に満足できなかった者のみが行う、自らを追放する厳しい世界だ。
 人工的に暖められた肉体が自然の厳しさによって一気に冷やされ、さらに除雪という自らの運動により再び肉体の火照りを取り戻してゆく作業。体温は再び暖かさを獲得するのだが、その暖かさはまったく別の暖かさになっている。このように會田にとっての「成長」とは、イメージを別のイメージに置き換えることだ。
 その過程で肉体が記憶(=経験)するのは、イメージの重層だ。
 人間は無数のイメージの網の中に放り出されるかのようにして生まれてくる。しかし、イメージを意味に置き換えることが「成長」することであると学ぶ場が多すぎる。會田の「成長」史は、むしろ複数のイメージの間にあるエア・ポケットのような不確かな空間への興味だけを頼りに独自の地図を作ってきた。そもそも彼女が注目され始めたきっかけの2003年全道展の協会賞受賞作「雨の日の自画像」も、我々はその写実技術の高度な確実さに驚かされたのだが、彼女の興味は既に背景の壁のシミが持つ不確かさの方であったのだろう。油絵を志す者は、その技術の習得過程において油彩画材が最初から持っている独特のマチエールや筆の荒さが生む偶然に、このジャンル固有の表現の面白さを獲得してゆき、その偶然性と自分の力量のバランスの位置取りによって「個性」のおさまりどころを探し当ててゆく。會田の場合はそれら偶然に頼るまでもなく、最初から写実技術を獲得していた。本来であれば天から選ばれた才能として安心する権利すらあるのだが、おそらく彼女は逆に、その自らの器用さゆえに、通常の画家が成長過程で体験する筆の荒さが生むマチエールの偶然性の魅力を享受していないことにコンプレックスを感じていたのかもしれない。つまり、せっかく築いたイメージの城が、彼女の持つ過剰なる写実技術ゆえに、彼女の意図を先回りしてイメージを”意味”の籠に押し込めてしまったと彼女は感じたのではないだろうか。ある意味、写実技術を獲得するのは画家の目標の一つでもあるのだが、その写実技術によって同時に手に入れてしまった饒舌すぎる意味が生む先回りの”説明”が彼女には不快であったのだろう。絵画とは意味や説明ではなく、ただただイメージの爆発だけで良いのだから。そこで彼女が打って出た方法論が、油彩画家の初期衝動のような筆の荒さやマチエールに相当するイメージを、まったく逆のベクトルである高度な技術を利用して、新しく創造することであった。その理由から「雨の日の自画像」は壁にピンで貼られた蝶や甲虫と同様に、自画像も過去の自分の標本に過ぎないという深読みができる。もっと踏み込めば、自画像を標本にしてしまった”遺作”を描くことによって、彼女は次のステージへ進もうと、雨の日の密室で決意したのであろう。
 今回の展示の中では、作品「語り島 2005 Ⅵ」がイメージの重層を最も分り易く見せてくれる角度を提示している。植物らしき緑の生命体たちが不完全な球体を寄せ合いながら、数学的なパズルを形成している。さらにそれに、ぶら下がる細い根のような蜘蛛の糸のような有機物の存在を見せ、下部にチラリと水の広がりを見せる。ああ、これが「島」なのかと思わせておきながら、その直後には、ぼやけた輪郭の謎を提示して、実はこの部分は”のぞき窓”から見た風景であるという種明かしを見るものに突きつけ、眼底に記憶されたそのイメージそのものが、ふわりと中空に浮かび上がる。すると、それらが複合化された幻影そのものが「島」のようになり、ついには仮想のイメージが影を持つ。左下には遠い惑星のような影さえも見えてくる。ここはいったいどこなんだ?
 「語り島 2004 ⅠⅡⅢ」の連作は、さっきまで私が入っていた風呂の浴槽につかっている時に見た、バスタブの周辺の人差し指ほどの幅の部分に、うっすらと乗っているお湯を思い出させる。ステンレスの上に乗ったお湯は最高に不安定な存在でありながら、風呂に入っている者にとっては全てのお湯をそこから排除することには無力である。お湯は、ゆっくりすべりながら伸びたり縮んだり、ゆっくり近づいてきた別のお湯の玉と合体したりしながら、バスタブに肩までつかっている私の視線の高さと同じ位置で生き物のように変態を繰り返している。休日でなければ、こんなことに気がつく時間的な余裕は無い。
 私は初めて2004年の全道展で「語り島 2004 ⅠⅡⅢ」を見た時、重力に正直なばかりに二つに分離してゆくかのような姿に、口を開けて語ろうとしている顔を連想した。それがタイトルの「語り」であるのかと思ったのだが、今回の展示では、そのような表現は他には無く、それでも連作の題は「語り島」のままである。さらに、「語り島 2004 Ⅳ」では中央部に樹木を屹立させ、「小品Ⅲ」と「小品Ⅳ」では球根へと変態している。そこでは、會田は植物のメタモルフェーゼをイメージの重層の中から浮かび上げたのであろうか?その自問に即答できないほど、會田の絵は動物的である。もっと言えば、これらは植物と言うよりは、臓物である。限りなく清潔な臓物が植物のフリをして”のぞき窓”の侵入者に、おどけた仮の姿を見せているだけなのだ。
 「語り」とは、「言葉」が紡ぐ「物語」であろう。「島」とは、「生命」が紡ぐ「宇宙」であろう。
 會田の言葉は意味ではなくイメージであるから、イメージでつづられた物語が島として可視化されたのだ。
 宇宙に初めて言葉が生まれた時、それを使ったのは人間ではなく、宇宙自身であったのだろう。それは、宇宙最初のイメージだった。植物とも臓物とも区別がつかないイメージであった。そう。宇宙で最も大きな島は、イメージだ。そして、最も小さな島は、水に浮かぶ一粒の種子なのだろう。イメージのDNAを運ぶ無限のマトリョーシュカとしての種子。
 そこで聴こえてくる音楽は、たとえばローラ・ニーロのアルバム『ニューヨーク・テンダベリー』。

 山川彩子が描くのは、「除雪をしてから風呂」に入った絵だ。
 それは寡黙な季節を知っている者のみが経験できる、全身の皮膚が饒舌な花園へと開く世界だ。
 真冬の北海道の屋外の気温と同じ温度まで下げられた皮膚が、風呂に入ることにより、全ての毛穴から一斉に原色の水中花を咲かせる。その化学反応が起こる時の熱量が山川の作品の魅力だ。しかし注意したいのは、我々は熱量の魅力に気持ちが奪われてしまい、その化学反応が何と何で起こったかということへの興味を見失ってはいけない。
 私が展覧会に訪問した時に、在廊していた彼女が接客中の先客と色について語り合っている声が壁の裏側から聞えてきた。
 「私は色を減らすことができないんです。」
 それはそれまでの会話の流れから急にトーンが変わり、まるで彼女の独り言のようになっていた。先客も少々あわてたらしく、笑いながらそれを否定していた。確かにこの発言には、まるで64色の色鉛筆を誕生日にプレゼントされた少女が喜んで全ての色を使って絵を描いたかのような印象に彼女の作品を一気に持っていく説得力もある。しかし、私にとって印象的だったのは、その発言の内容よりも、他者との会話の最中に急に独り言の告白のような口調に変わることができる彼女の思考の流れの方だ。
 そのことに気が付いてから改めて彼女の作品群を見てみると、豊潤な色使いの作品なのに、陽気なオシャベリのような賑やかさが聞えてこないことが確認できた。若さの特権とでも言うべき、はしゃいだ気配も無い。それは色だけではなく、若者や南国の動物や蝶などの素材が持っているイメージから考えてみても、彼女は素材本来の持つイメージを別のイメージへと化学反応させて、不思議な静寂を創造したと言える。つまり、中心に描かれている人物と周囲に描かれている世界との対比が生む化学反応がテーマなのだろう。その対比を差異とか、違和とか、さらには対立などと読み替えて絵を見てゆくと面白い。明らかに融合や溶解ではないのだ。それでいて優しく包まれている。つまり、あえて言えば「出会い」なのだ。
 人物は「昨日と明日の狭間で」ではアゴヒゲにウォレット・チェーンの男性、「時の行方」と「landscape」は同じTシャツを着ているので同一人物なのだろうが、ピン・ストライプのカーペンター・パンツをはいている男性であり、彼らのファッションは明らかに現在の風俗の象徴である。逆に自画像であろう女性が中心に描かれている「とき放たれて」と「組曲~moderate~」では、タイム・レスなファッションで身を包んでいる。さらに、男性を囲むのは動物や泳ぐ魚であり、女性を囲むのは植物や図鑑のように整列させた蝶や貝殻である。ここにも明らかなモチーフの選択の差がある。それらのファッションと動植物の差というキーワードの放つメッセージから、現在の象徴としての男性、普遍の象徴としての女性と見分けることも可能だ。
 「とき放たれて」でとられている女性のポーズは、大きな公募展では必ず数点目にする絵画では定番のものだ。同様に山川が描く全ての絵画の人物は、動かずに描かれることを待っているモデルのポーズである。かと言って、それらが豪華な花に囲まれた死体のように描かれているわけではない。むしろ、生の過剰さゆえにアンバランスさを抱えた「若さ」が、現在と普遍との間で寡黙に希望を温めつつ、来るべき予言者を待っているかのようだ。そう私に思わせるのは山川の画力の興味が「意志」を表現することに成功しているからであると思う。たとえば、「時の行方」の青年の太い首に隆起する筋や右腕の逞しさ。それでいて痩せた体をイメージさせるTシャツやズボンのシワ。「とき放たれて」の首と左脇の魅力的な青の点在から、ワンピースのシャープなストライプの流れを経て柔らかい腰のボリュームへと広がるメロディーのようなライン。山川流のリアリズムがいたるところで確認できるのだ。そしてそのどれもが、けっして弛緩されない意志の表現のために使われているのである。
 これらの人物と化学反応を起こそうとするのが若者を囲む世界である。「時の行方」では、デザイン化された象などの南国の動物に混じって、ニューオリンズのミシシッピ川で活躍中の有名な観光用蒸気船ナッチェス号の船体までもが見える。水の交通があれば、上部にはヘリポート標識、下部には道路標識、左中央には交通信号機まである。あらゆる交通手段の象徴が揃った世界を、あらゆる原色が共生しながら描かれる。交通手段は「出会い」の隠喩であり、多彩な原色は「希望」の隠喩である。絵の中央に置かれた若者の着る青系の服には赤系の陰影が付けられ、彼を囲む世界は多彩なイメージを黄色がつないでゆく。これだけの色を使っていながら破綻しないのには、山川なりの緻密な計算と配色の工夫があることが分る。山川が「私は色を減らすことができないんです。」と告白したつぶやき声が私の空耳ではないとすれば、無限のピースのジグゾー・パズルのような緻密な配色を楽しまずにはいられない業の深さに私は震える。
 また、「とき放たれて」と「昨日と明日の狭間で」に登場する「1945」の墓碑銘のような道しるべのようなものは何だろうか。1945は、もちろん日本の敗戦の年である。そう考えれば絵のタイトルの説明の補助にもなる。それでは何故、山川はこの数字=年号を選択したのであろうか。山川の世代であれば、阪神大震災とサリン事件のあった1995や、9・11といった数字の方が現在性をより持っているような気もするのだが。もちろん、1968や1970などでも良いのだが。ただ、1192では笑っちゃうかもしれないが。もしかしたら、山川の両親の生れた年が1945なのかもしれない。いずれにせよ、現在と普遍を化学反応させようとする作家が選んだ数字であるのだ。
 山川が演出する化学反応を私なりに単純化して説明させてもらえば、こうだ。ホットな世界にクールな人物を中央に置く。または、クールな人物をホットな世界が囲んでゆく。
 このイメージは、若者と世界の関係の比喩でもあるのだろう。そのための画法として、人物は写実的に、世界はグラフィックにデザイン化して描き分けているのだ。もちろん、色も同様に。これらの化学反応はタペストリーのように複雑に織り込められて全体像を形成している。その時、単なるデッサン・モデルのような人物が万物を吸収する形而上的な空集合の存在に昇華して磁場を作り出し、絵画全体が魅力的な熱量を発するのだ。
 そこで聴こえてくる音楽は、たとえばキャロル・キングのアルバム『つづれおり』。

 川畑摩沙子が描くのは、「布団の中で旅をする」絵だ。
 それは見ることの訓練の果てに風景を鷲づかみにすることができた者のみが再現できる、体温を持った記憶の世界だ。
 私は「記憶の中の風景」の前に立った時に中央遠景にそびえ立つ岩山の左右に描かれた、赤い霞にかかったような山なみの描き方が気になった。それはまるで描きかけのようにも見えるし、思い出せなかった記憶の空白を印象で埋めているようにも見える。これは、「樹のある風景」の主役の岩山の影のように後部に描かれている、幽かな気配のような遠景の山にも見て取れる川畑の嗜好なのだと思う。小品ではその嗜好はさらに露骨になって、「彼方」の構図は、手前の植物と遠景の山脈の間に大胆な省略と独特の抽象が溶け合った表現方法が使われている。さらに小品「道」に至っては、風景が記憶という溶鉱炉で川畑の深層心理と溶け合ったものが絵として再び生れなおしたかのようだ。
 極端な言い方をすれば、記憶も絵画の一種である。現実が肉体のフィルターを通して加工されたものなのであるから。ただ、それが紙などに転写されていないだけの作品なのである。
 それでは記憶とは何だろう?私が思う記憶とは、「風景の体温の私有化」である。川畑の絵が持つ独特の包容力のようなものは、まさにそれである。
 遠い距離から見ると、細部が融合しあい印象とでも呼ぶべき全体像が浮かび上がる。それと同様に、時間を経て思い出せば、同じことが起こる。川畑が描く山なみや樹木は、そのように描かれている。では、近い距離から見て描いた場合はどうだろうか。「森・ここから始まる」ではそれを、葉などがランダムな方向に向いて描かれ、それぞれの葉に選ばれた緑色のバリエーションが作品全体にリズムを与えている。手前と遠景の影が濃紺で描かれ、その間の葉の隙間の暗部は赤系の色で処理されている。その結果、黄色系で描かれた中央の人物を突き抜ける一直線のラインが見るものの印象の中に強く浮かび上がってくる。左上に広がる巨大な植物は謎を秘めた豊かな形状を我々に見せつけ、いよいよ「森」は創造の源であるカオスの比喩として人物を包み込む。風景画を風景のままに描きながらにして、そこに明確な作者の意思を刷り込ますには、このように見つめきった風景を一度、記憶として取り込む作業が必要になるわけである。
 そこで聴こえてくる音楽は、たとえばニーナ・シモンのアルバム『ヒア・カムズ・ザ・サン』。

 かつてアドルノが「アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮だ。」と言ったのをもじって、「北海道立近代美術館以後、絵を描くことはオバンだ。」と私が言えば、またまた怒られるか?とにかく画廊を回っても絵画教室を回っても、オバサンたちは元気である。ある意味、私は彼女たちが日々の営為で維持してくれている環境のおこぼれを享受させていただいているので、素直に感謝している。
 さて、かつての北海道の美術作家たちは、展示スペースが無くて泣く泣く展示の規模縮小を断行していた時代、北海道立近代美術館の完成を長い間、夢みていたはずだ。これが1977年の北海道立近代美術館の開館以後、北海道内にも美術館は増え、相対的には画家にとって幸福な時代になり、オバサンたちも展覧会の間口が広がり、モチベーションとテンションと血圧が同時に上がってきたのかもしれない。
 そんな元気なオバサンの横で男たちはどうであったかと言うと、「定年して暇になった、はて何するべ?と毎朝、新聞とにらめっこの日々のなか、ふと広告をみると美術館で○○展やってる。ちょっと行ってみるか!と腰をあげたのが切っ掛けと、いうのが、アート人口の大半です。」(HP『共犯新聞』ゲストブック2005年2月22日)という立場で北海道立近代美術館以後の時代を楽しんでいる。ちなみに今、引用したのは『寒昴展』終了と同時に札幌店を終了させるエルエテ・ギャラリースペースの渡辺良隆オーナーの発言だ。北海道立近代美術館をセンターに置いて、画廊主は個別の理想と問題を抱え、泡沫としながらも、作家とユーザーの間で天使の役割を演じてきているわけだ。
 それでは、生れた時から北海道立近代美術館があった世代は、それまでの世代とどう違うのだろうか?技術の個人差とは別に、観る環境の充実は製作者にとっては喜ばしいことである。いよいよ北海道近代美術も100年の蓄積を持って、体系を俯瞰して楽しめる時代になったということである。
 20歳を超えたらもはや「若さ」とは相対的な概念に過ぎない。あえて言えば、蓄積された時間の中で、描く時間より見る(=学ぶ)時間が多い現在が「若さ」なのであろう。そういう意味から言えば、偉大なる先輩作家たちの後から来たものたちの作品は、ある意味では過去の作家への批評として存在しているとも言える。
 今展覧会の企画者である美術評論家の吉田豪介氏が、「道美術界全体が保守化傾向という大きな安穏の中で意識の眠りにつく前に、意義を申立てるあまのじゃくが出現してほしい。無関心が日常に蔓延する前に、差別でも軽蔑でも嘲笑でもいい、声高に叫んで知的な停滞を切り裂くトリック・スターの出現をぼくは期待している。負の連帯感が熟成することを熱望している。」(『北海道美術をめぐる25年』1983年刊)と書いてからも20年以上が経った。このタイミングで、生れた時から北海道立近代美術館があった世代による合同展が、通常はベテラン作家の健筆の場であるギャラリーどらーるで開催されたことは、規模は問わないまでも新鮮なブレイク・スルーを楽しみたいという環境の熟成が生んだ見事な結晶であると思う。また、それはけっして重荷ではなく、軽やかに自分の創造したい意志にまかせるだけでよいということを作品を持って示してくれた三人から観客が与えられたものは、大きな希望というやつであった。
 先にあげた3枚の音楽アルバムを続けて聴いてみると、Coccoのアルバム『クムイウタ』が私の耳の奥から鳴り出した。



Re: 布団のあとさき 栄通 - 2005/02/26(Sat) 21:20 No.2647  

 あまりに長すぎる。無理な相談とおもいますが、限りなく短い文にまとめてほしい。なにおかくか、とどうじに、なにおかかないかも、だいになのではないのですか。

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