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展覧会情報(旧ギャラリーどらーる掲示板より)

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2007'01.20.Sat
4月の展覧会 投稿者:IWA@主任 投稿日:2005/03/31(Thu) 21:23 No.2739  
 

2739.jpg 「西村 一夫展」が終わり、いよいよ明日から「佐藤 武展」が始まります。

本日は飾り変えを行いました。



感想文 久保AB-ST元宏 - 2005/04/27(Wed) 09:58 No.2807   HomePage

個展『佐藤 武 展』
ギャラリーどらーる 2005年4月

~~ 閉じた窓の熱 開いた窓の風 ~~

 個性をしっかり持った画家だが、個展を観る前に内容が分かってしまう弱さも、その個性ゆえにある。
 その点から考えても先に売れて行った絵が「十月の朝」(10F、40万円)と「刻」(30H、120万円)である点にユーザーの鋭さがある。つまり、これらの絵には彼の個性とは別のもの、「湿度」がある。その理由とは、絵の中に猫がいるからだ。しかし、彼の個性と目的は有機的なものを徹底して排除することにこそあったはずである。されど、絵の受け手は有機的な存在を「窓」にして作品に接するのだ。
 つまり、佐藤武とは「窓」の無い画家、とも言えるかもしれない。あれほど広大なインドの風景を取材して高度な技術で描き留めているのだが、その「窓」のない印象が、奇妙な閉塞感を観る者に与える。それは「不安な時代」という題を好む作者の意図が成功しているとも言えるだろう。

 空中に浮かぶ巨大な石、しかもそれは自然界のままの石ではなくて人工的加工が想像できる鋭角さを持ったものだ。それを大江健三郎風に「核兵器」の比喩と捉えるほど私は単純ではないが、作者が感じる不安には人工的な「文明」の匂いが染み込んでいることには、間違いない。

 さて、大きく分けると彼の作品にはその石シリーズと、もう一つ別に、空中に回廊が浮かぶシリーズがある。
 両者とも、人工の文明の手によるものだが、決定的な差として「窓」があるかないかのイメージがある。回廊は石で作られた迷路の入り口のようでもある。路地の設計とは、複数の人智による生活の計算の結論である。石よりも有機的な存在だ。つまり重層的な「窓」の比喩としての回廊なのだ。
 ここに彼が提示する2つのモチーフが持つ、2つのテーマの意図がある。

 その両テーマの差異に立つ作者に「窓」(3F)という題の絵があることは象徴的だ。ここで作者は、窓そのものを描いている。つまり、そのままこの絵を壁に飾れば窓と錯覚するようにだ。
 「窓」を拒む思想と、「窓」を求める思想。それらが逆の立場で矛盾しているのではなく、作者の中では合一なのだ。そこには絵に対して極度に真摯な作者の態度が想像できる。
 そして作品「陽光」(6F)の青の美しさや、青と黄色という作者が描き続けてきた静寂の色の中央で、動きを得た赤い旗が誇りの象徴のように描かれていることに触れる時、作者の内面にある「窓」をめぐる大きな「ゆらぎ」は、希望のためにあるのだと確信できるのだ。



春眠解けやらず 竜馬@管理人 - 2005/04/27(Wed) 18:37 No.2811  

久保さんらしい「佐藤 武 展」評論で、書き込んでくださりありがとうございます。

「無理して偽装春眠」している竜馬としましても、「もうそろそろ」とも思いますが、まだフラフラして腰が定まっておりません。
米屋で鍛えなおさなければいけませんね。

東京のインターネット喫茶で書き込んでいますが、札幌に戻ってから何か書くかも知れません。

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