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いーとあーとブログ

展覧会情報(旧ギャラリーどらーる掲示板より)

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2007'01.29.Mon
「抽象派作家」今荘義男の画につ... 投稿者:T.nakamura 投稿日:2006/04/23(Sun) 11:50 No.3769   HomePage
 

0) 私は展覧会に絵を見に行く。けっして、「抽象派」というような意味不明で曖昧な観念を捕らえに行くのではない。絵画という視覚的存在(「物質」)にはそのような(非視覚的な)「観念」は発見できないからである。私は画家の作品(もの)を見に行くのであって、その画家の「脳内」(イメージ)を観察しに行くのではない。私は在るがままの作品そのものを仔細に観察しに行くのであって、その作品を生み出した画家本人との出逢いをあえてもとめているわけでもない。「抽象派」であろうが、「具象派」であろうが、絵画表現の純粋の行為の痕跡が画の中に見出されるなら、それで十分満ち足りる。


1) 仮に抽象派と具象派があるとする。お前はどちらの方がすきなのかと問われるなら、私は挨拶としてだがいちおう具象派も抽象派もと応じるつもりである。どちらも人間の精神が生みだす「絵画」であるという一点で同じじゃないかといつも思う。

抽象派と具象派の決定的違いはどこに存在するのであろうか。両派の境界線はどこに引かれるのであろうか。未だかって深く考えたこともないこの問題について、行きがかり上、少しだけ考えてみることにする。

人間の意識が境界線を決定する。画家である以前の人間の精神がその境界線の存在を思う。「差異」「対立」「矛盾」が人間の意識に生じるなら、その現象は竟には「言葉」上の区別となって定着するしかない。人間の言語的意識には常にその傾向を内包している。(人間精神が生みだす「同一」の絵画表現の地平に、表現方法上の「差異」が生まれる。)

そこで「同一性」と「差異性」の関係性の眼でこの問題に近づいてみる。で、ここでは絵画表現へと向かわしめる画家の内的モチーフの発火点(「同一性」)に着目すると、モチーフの発火点の在り処(「差異性」)が抽象派と具象派では微細に違っている。

「具象派」は絵画表現の内的モチーフの在り処をつねに意識の外の世界に発見する。彼の眼の玉は己の意識の外に存在する森羅万象の「リアリティ」にじかに対峙する。外界の森羅万象の無数の現象を見る、観察する、そして考える。「抽象派」はそれとは位相が逆であって、絵画表現の内的モチーフの在り処をつねに意識の内の世界に発見する。おのれの意識の内側に存在する心的現象の無限の世界とじかに対峙する。内界の森羅万象の無数の現象を見る、観察する、そして考える。

きわめて単純化するなら、画家が自分の眼の前にある「もの」の方を信用するのか、それとも自分の眼の奥にある「ものの像」の方を信用するか、それ(だけ)が違いの急所である。

具象派は「もの」から触発されるのを待ち、それを写生する、それを素描する、それが表現にまで転換するまでの間、何十回も何百回も対象と格闘する。抽象派は「もの」から触発されるのを待つことをしないし、もちろん、それを写生もしない、素描もしない。おのれの「脳内イマジネーション」の力(のみ)を頼りにする覚悟は決めている。「もの」の存在など、歯牙にもかけない。

どちらも同じ人間の精神の行為であるはずなのだが、その精神にやどる世界観(世界をどう捉え、どう表現するかの基本的構え)が決してひとつきりではなく、いくつも(対立し、矛盾しながら)存在するから、絵画の世界にも、おのずと、「抽象派」と「具象派」の対立が生まれる。

2) 今荘さんはわたしは「抽象派作家」であると宣言をした一人である。おのれの絵画の方向性についての、その宣言はずいぶん昔にさかのぼる。それは33年前までさかのぼる。今荘さんは1930年生れであるから40代に達したばかりの頃である。それが1973年である。

絵画の方向性において、あえて「抽象派」という架空の一座標軸をかかげ、それを絵画実践の磁場をつらぬく機軸としてあらためて据えなおし、そして画家の同志的関係をつくりだす。その必要と必然があったからこそ、今荘さんをして、そのような行動に踏み切らせたのだと思うのであるが、さて、私はその当時は25歳の無知な青年に過ぎない。そのような先鋭的な行動を志した画家たちが存在したことさえ私は知らなかったのだ。

したがって、今荘さんはこの「抽象派」という架空の座標軸を絵画的に実体化する果敢な挑戦を実にそれ以後30年以上も続けている。その持続する精神のあり方に敬意を表する次第である。

3) 今荘さんのふたつの大作のタイトルはどれもおなじ「古里」である。この「古里」というモチーフは近年の今荘さんの画業を貫いていてかわるところがない。その日本語の「古里」という語が持っている感触(語感)からイメージする世界と、今荘さんの絵画的に表現された世界の間にはおおきなへだたりがある。その「へだたり」こそ、「抽象派」と「具象派」との決定的違いの在り処を示すものであろうか。

2005年と2006年に製作された「古里」のサイズはどちらも同じ大きさで、縦が180センチ横が300センチである。それが2枚並べてあるから、見る側では、縦180センチ横600センチの世界と向き合うことになる。大きな世界である。

「古里」のモチーフを具象的に写実的にあらわすようなものの、かたちも影も、画面のどこをさがしても見つけだすことなど誰にもできそうにもない。画の前に立つ者が無意識に身に着けている先入観を捨てて、画の前で「空」になることをもとめている。いささかでも「感情移入」することを許す具象的な像の破片を画の中からきれいさっぱり排斥している。で、今荘さんのやわらかい精神の眼が意識の奥底にいつも静かに見つめているのは「古里」の心象である。その「古里」の心象をいかにして造形化できるか、実体化できるか、物質化できるか、そのことだけがひたすら追求されているだけである。この追求の根が奈辺にあるのか、私には不可解である。その精神の苦闘・格闘の軌跡のみがとどめられている。それのみを観取されることを画がねがっているという佇まいである。

画の前に立つと、誰もが感じるはずだとと思うが、画がしずかに呼吸している。

4) 画の物質化のベースになっているのは、風雨にさらされた古の農家の土壁の表情のように、人間が何十年も何百年も歩行するだけで踏み固めた古の土の道の表情のように、堅牢なマチエル(文字通り、物質)からできている。画家は人間の個のいのちと運命をこえるものの存在(世界地平)をまず視覚的に物資化することに専心する。そこを土台にしてのみ、人間のいのちの儚い華は生き死にしているからだ。

では、人間の個人の悲しい運命といのちの存在、そのかたちと影はどこに見つかるのか。それがやわらかな曲線で囲いこめられているまるいかたちのほぼ同じ大きさのフォルムである。画の中にほぼ同系のフォルムを複数個見つけることができる。それは画家の生の軌跡のクロニクルの、ある特定の時間と場所を象徴するものでもあるかもしれない、あるいは画家の人生のなかで出遇っては生き別れ、死に別れした人々の存在の記憶の象徴であるかもしれない。そのフォルムは堅牢なマチエルの表面に根を生やしたような佇まいでそこに存在している。ときにはそのフォルムのひとつに特別の色彩である赤がにじんでいたりする。

それらのフォルムの表面にも、ベースの堅牢なマチエルの表面ににも、パレットナイフで抉ったように、痛々しい痕跡がいくつも認められる。絵の具の層を突き破って、下地の木の表面がそこだけ傷跡のようにむき出しになっている。画家のやわらかな堅牢な精神の水面に小石が投じられる瞬間である。無意識の奥底にあるかもしれぬ、画家の明晰な精神ですら制御不能な、あの「狂気」の嵐の先端が堅牢なマチエルに抵抗し、そこを喰い破る。その痕跡が波紋のまま残存する。それをあえて残した画家の意志の奥底を私は想像できない。

「古里」の画面に漣がたっている。その只ならぬ波形を画家はその在るがままのフォルムでとどめている。

「抽象派作家」宣言をした四十代の今荘さんはいまは七十代である。30数年以上も、「抽象派作家」という孤独なポジションに身をおいて、格闘し続けたことになる。何に対してなのか。自分という人間精神の不可解に対してである。その精神の軌跡の一端だけがここにそのまま存在する。

5) 「具象派」と「抽象派」との間にある絵画の行方について、占うことはできない。

「絵画」の原点である先史時代の洞窟壁画を起点にして数万年のあいだ人間は絵を描きつづけてきた。誰ひとりとして、絵画表現の、その先を占うことも透視することもしないで、日々の精神の重圧と不安と絶望に向き合いながら、おのれの「脳内イメージ」を純白の平面に純粋に投影することのみを夢見つづけてきた。

さて、私が見たいものは絵画の世界に発見できるであろうか。それは誰にもわからない。



「第33回北海道抽象派作家協会展... T.nakamura - 2006/04/23(Sun) 19:00 No.3772   HomePage

4月22日の午後に市民ギャラリーで開催されている「第33回北海道抽象派作家協会展」を見てくる。

「第1展示室」すぐ左の壁面に、今荘義男の大作が2点。①「2005古里」(180×300)②「2006古里」(180×300)今荘さんと画の前で挨拶をかわす。すぐ右の壁面には三人の作家、横山隆・佐々木美枝子・鈴木薫の作品。横山隆の作品が4点。①「彼方へ4」(183×92)②「彼方へ3」(183×92)③「彼方へ2」(183×130)④「彼方へ1」(183×130)佐々木美枝子の作品が5点。①「作品」(S60)②「作品」(F60)③「作品」(S60)④「作品」(F60)⑤「作品」(S60)鈴木薫の作品が2点。①「記憶の根に聞く」(180×90)②「ある曲の根を聞く」(F120×2)一番奥の壁面には、外山欽平の組絵「アイノサンカ」である。F100サイズのタブローが12枚組み合わされて、ひとつの大きな世界が表現されている。すべての作品はアルファベットの「i」(アイ)をモチーフにしている。そのヴァリエーションの展開である。最後の壁面には二人の作家、服部賢治と熊谷知之。服部賢治の作品は6点。①「作品A」(F100)②「作品C」(F30)③「作品D」(F100)④「作品B」(F30)⑤「作品E」(F100)⑥「作品F」(F30)熊谷知之の作品が6点。①「稔りの地」(150×200)②「地を守護するもの」(200×150)③「遥かな地」(150×300)④「湧きあがる宙へ」(220×180)⑤「風の棲む所」⑥「風の稜景」展示室の真ん中に、近宮彦彌の「ネオン インスタレーション」が置かれている。

「第2展示室」すぐ右の壁面には三浦恭三の作品が5点。①「循環No.32」(F100)②「循環No.31」(F100)③「循環No.34」(F100)④「循環No.30」(F100)⑤「循環No.33」(F100)右奥には、吉田英子のインスタレーション「実と虚(気)」が展示されている。突き当たりの壁面には、二人の作家、あべくによしと林教司。あべくによしの作品は5点。①「記憶の箱(風が透き通った日)青さの中で3」(60×60)②「記憶の箱(風が透き通った日)青さの中で1」(F50)③「記憶の箱(風が透き通った日)Green1」(F50)④「記憶の箱(風が透き通った日)青さの中で2」(F100)⑤「記憶の箱(風が透き通った日)Green2」(60×60)林教司の作品は5点。①「K-U」(90×90)②「K-U」(90×90)③「K-U」(90×90)④「K-U」(73×73)⑤「K-U」(90×90)左奥の壁面には、後藤和司の大作「緑のScene2006Ⅰ」(M100×5)。

14時過ぎ、林教司さんが現われる。直後、「タピオ」の竹田さんが姿をあらわす。14時30分に小休憩。缶コーヒーを飲む。椅子に腰をおろし、「北海道抽象派作家協会小史」を読む。外山欽平さんの「友人の死」を読む。



無題 竜馬@管理人 - 2006/04/23(Sun) 20:29 No.3773  

T.nakamura さま

T.nakamuraさまご自身が素晴らしいホームページをお持ちのようですし、いつも毎日の様に画像入りの短いコメントを寄せておられるサイトがおありなのに、何故この様な書き込みだけ当サイトにされるのでしょうか?

このへっぽこホームページの管理人としてはT.nakamura さまの意図が分からなくて大変戸惑っております。

当サイトが賑わっておらないので、華を添えてくださるお気持ちならご遠慮申し上げたいと思います。

無学な管理人には難しくて良く理解できない高尚な評論は、その高い質のホームページでご披露された方がふさわしいのではないかと思う次第です。



別離の挨拶 T.nakamura - 2006/04/24(Mon) 16:47 No.3774   HomePage

不可解な投稿にたいする疑義、もっともなことと感じ入る次第です。

亭主がそのようにおっしゃられるのですから、客でもない私、お言葉に従い、いざ退散という次第でございます。

わずかな時間でありましたが、身に余る、一期一会の興にあずかり、ありがたく思う次第です。

早々に、退散いたしますので、ひらにひらに、ご勘弁くだされ。これにてさらばでござる。

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