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いーとあーとブログ

展覧会情報(旧ギャラリーどらーる掲示板より)

2024'05.04.Sat
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2007'01.29.Mon
リクエストに応えて 本論 久保... 投稿者:栄通 投稿日:2005/12/23(Fri) 17:01 No.3522  
 

 久保君は国松さんの作品を観て、作品に沿うという形で夢多く語ってくれた。僕は山を見れば山しか語れない。彼は山を見て『海』きれいですね、『空』きれいですねと語ることができる。夢追人だ。

 彼は沼田町から絵を観に定期的に札幌に来ている。家族の生計を立てながらの活動だ。何をおいても、こういう鑑賞態度には頭が下がる。彼の文体リズムは僕好みではない。だらだらした文に閉口している。結論を早く言ってよ、という思いは正直ある。が、彼の鑑賞態度と情熱は好感している。自分を折ってでもその文体に付き合わなければと思っている。同好の人と思っている。

 末永さんの文章から少し変わったと思う。読みやすくなった。その変化もおりこんで語ることができたらいいんですが、一応無視して、批判的に書いてみたいと思います。


 まず何より彼は作品・作家に対して非常に『やさしい』。やさしさで対象を取り込んで、どこまでもどこまでも入っていく、進んでいく。女性を口説くようにして。けっして嘘は言わないから相手は喜ぶけど、それを聞いている他人は関心もするが、「そんなに褒めちゃっていいの」って、つい思ったりする。このプレイ・ボーイ的態度は相手(対象作品)と自分を明確に区別して関わっていく。私は語る人、作品は語られる存在。徹底した対象分析能力あっての「やさしさ」だ。常に自分は安全地帯ににいて、作品にやさしく深く深く迫っていく。だから文章に口説き言葉としての凡長さ・巧みさ・意外さはあっても、ブレが無い、不安が無い、読む人間が自分自身を問い直す契機が無い。その辺が僕にとって不満なところです。

 それでは久保君が自己充足して、その確認だけのために絵を見ているかといえば、決して違うだろう。自分にも美学はあるが、自分に無い知らない美学が他にもあるんではという思いで観ていると思う。ただ、久保君はあまりにやさしすぎて、その隙間をピエロ的・トリックスター的に埋めようとして、凡人になっていると思う。超凡人、あまりに凡人になりきれない。
 返り血を浴びるのを恐がってはいないが、相手の弱点が見えるが故に、そこを突っつくのをためらっているようだ。早みえで賢すぎるんですね。人格も健全。だから、姉歯氏のいるメールは送れても、見る者は非常に安心しちゃう。僕なら同時にポルト会館と栗谷川氏の作品を小さく入れる。ギャグでも安全に振舞っているんですね。そう振舞わざるをえない哀しさが伝わればいいんですが・・・・・・。

 
 以上はあくまでここに載った文章にもとずく感想です。多分、他ではまた違った面を出していると思います。

 来春、訪問したいと思います。構いませんか?



ドラゴン・ Reクエスト 久保AB-ST元宏 - 2005/12/27(Tue) 01:40 No.3524   HomePage

3524.jpg ■栄通さん!リクエストに応えていただき、ありがとうございます。

>氏はモニュメンタル(公共空間を生かした作品展示)な仕事をされているので、場の強制力は絶対条件だ。

■なるほど。そーですよね。
でも&だからこそ、「室内の小空間」という「場」の「強制力」とも呼応し合えたのだ・と、私は思います。

>自分という存在が二律背反的

■なるほど、大昔に読んだ吉本隆明『高村光太郎』(1957年初版、飯塚書店)などの、エディプス・コンプレックスの視点からの光太郎論を思い出しました。
しかし、光太郎が光雲パパとゆー堅牢な視点&支点を持ちつつも、超☆愛妻・智恵子が「人生」に突き刺さってきますし、その過程で遥か西洋のロダンとカミーユをダブらさせたり、さらに時代も江戸時代の「仏師」から近代の「彫刻家」へと複数の立場からの変化が加えられたりと、「二律背反」の「現場」は常にメタ&メタに多義的です・よね。
そーゆー意味では、「表現者の紹介で家族性を前面に出さないほうがいい」っーのは、大きなお世話なのでしょう。
別に自民党&民主党の2世議員を語ろうとしているわけではないので、「家族」という偶然の系譜を楽しむイベント性に身を投じてみるのも、無責任な観客のシャンパンのツマミです。そのツマミが、國松希根太氏であるのであれば、シャンパンも少しイイヤツを冷やしておくぐらいのスタンスが私は好きです。
まぁ、國松希根太氏に限らずに、茶目っ気のある”竜馬リクエスト”が提示する年間スケジュールには、わざと種明かしをするかのような北海道画壇ファミリー・トゥリーの枝葉が、何本も準備されていますよね。
栄通さんも思っていらっしゃられるように、画廊は博物館ではありません。同時代の鋭角な切り取りとしての、画廊です。「家族」という偶然にだまされてみるのも、シャンパンの日々の泡です。
「家族は子どもに弱い」し、同時に、だからこそ強弱とは違った価値観で向かい合わなければならない「個人」同士でもあるんですよね、これが。
その「強弱とは違った価値観」とは何か?そこへ興味を集中させるほうが私には魅力がありますよ~♪

>結論を早く言ってよ

■ただ、私が駄文の中で唯一、肝に銘じているのは「結論を書く」ということです。
それは、まぁ、「結論」を書かないで、現代詩くずれのムードに自己陶酔する評論文を読むたびに時間の浪費ばかりを感じてしまう経験を何度かしてきたからです。
かと言って私は、もちろん、「データ」を羅列する知識はまったくありませんし、「紹介」するフットワークも持ちえていません。
ですから、私の「だらだらした文」にお付き合いしていただける方(が、もし・いらっしゃったら・の前提ですが・笑。がくっ。)への唯一の仁義として、「結論」だけは明示しようと勤めています。たとえそれが、中間報告としての「結論」であったとしても、読んでくれている方を最後に中空に放り出さないようにプレイ・ボーイぶりを発揮しています(がくっ)。

>読みやすくなった。

■前回、ここの掲示板に私が恥をしのんで私の自作の4コマ・マンガを添付させていただきましたが、あれは、今回の私の『國松 明日香 展』感想文が、4コマ・マンガの手法と「文法」で書いた・と、後になって(=書き上げてから)気が付いたからです。
つまり、紙メディアが「評論」というジャンルを育てたように、インターネットにも、インターネットならではの「評論」の「文体」があってしかるべきではないか、とゆーのが今回の私の感想文でした。
コンピュータ画面で下にスクロールしてゆくごとに、次の文章が画像と共に現れる・とゆー「文体」です。さらに、リンクや、画像にカーソルを置いた時に表示される文字など、インターネットならではのメディア環境全てを「表現」として利用する…。これは、ある意味、読者へのサービス(=「読みやすくなった」?)でもありますし、メディアの環境に添え寝するプレイ・ボーイ「文体」とも言えましょう(がくっ)。
http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/art-kunimatu-asuka.htm
最新型と、気取ってみたところで、なんだこれ、4コマ・マンガの変形じゃんか!っーツッコミも、また重要かつ有効な意味があるのです。よね?
■今回の書き込みに添付させていただいたのは、私が(あえて名を秘す)高名な画家へ出したプライベートな手紙です。これは&これで、「感想文」です。

>多分、他ではまた違った面を出していると思います。

■お見通しのように、愛と平和と悪意の『共犯新聞』主筆といたしましては、涙を流さずに慕うものを前から後ろから切りつけ続けています。返り血もまた、美味し、ってか?
お時間があれば、読んでみてね。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/2005got.htm

ここには私の勉強不足と無知による誤解&誤読もあるでしょう。でも&まぁ、それも博物館ではないリアルな世界の住人としての酩酊日常。修正と謝罪は、「批評」の彼岸にあります。
ってなワケで、器用貧乏(←自分で言うんじゃねぇー!がくっ)を自ら楽しませていただいております。

>常に自分は安全地帯ににいて

■プレイ・ボーイっーよりは、今宵も指名ゼロの悲しき中年ホストな気分で、いつも愚かな赤文字の浮き具合を長め(=眺め)ています。「ああ、また書き込まなきゃ良かった。今宵も指名も同伴もゼロだった…。」、みたいな。
ただし、プレイ・ボーイは「たいこもち」とは違って、無芸大食なれど、「裏切り」の回路は許されているのですなぁ。

>読む人間が自分自身を問い直す契機が無い

■そーゆー「評論」を目指します。

>凡人になっていると思う。超凡人、あまりに凡人になりきれない。

■うーん。超難しい。分かりやすく教えてください。

>来春、訪問したいと思います。構いませんか?

■ダメです(うそ・笑)。
■実は私は、東札幌にも家があるんですよ。正月はそこで過ごす予定です。ダイエーで見かけたら、
「よっ!プレイ・ボーイ!」
と、声をかけてください。がくっ。
■あ、そうそう。新春芸能活動といたしまして、1月7日(土曜日)午後6時から、全国放送されるテレビ朝日系列の『人生の楽園(1時間スペシャル)』に、若林博士と私が共演させていただきますので、そこでお会いいたしましょう(笑)。



家族愛掲示板 竜馬@管理人 - 2005/12/27(Tue) 09:25 No.3525  

やはり私が穴篭もりしていた方が面白い (*^_^*)。

思考が文章で表現されると、それぞれ馴染んだ文体があるから意図が伝わらず曲解されることが多い。
説明的であり過ぎても腹が立つ。
お二人とも突き放しつつ妙な連帯感が感じられて実に面白いですね。
でも、決して意が伝わってはいない(笑)。

先日「国松 明日香展」に脚本家の倉本聡氏ご夫妻が見えられましたが、脚本の無いドラマ『人生の楽園』若林博士編も遂に第2弾を迎えましたか?
私を主人公にした『人生の落日』(ガクッ)もそろそろありかな?



Re: リクエストに応えて 本論 ... 栄通 - 2005/12/27(Tue) 23:17 No.3527  

いや、どうも。本日は、「純米(大山)」で上機嫌です。投稿が固まってたので、どうしましょうと思ってましたが、お返事がきて嬉しい限りです。酔いがさめた明日にでも短めにお礼を書きたいと思います。

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2007'01.29.Mon
リクエストに応えて 序論 国松... 投稿者:栄通 投稿日:2005/12/23(Fri) 15:36 No.3520  
 

 (十二月二十一日 ニュー高砂温泉駐車場より旭川の夜景を見ながら)

 一目会場を観回すなり、綺麗におさめるもんだな、彫刻家といっても何でもできるんだなー、という思いにとらわれた。

 ここの空間は主に壁面作品を中心に、個展単位で作品・作家を紹介している。国松さんはそういう個展歴・壁面性をかなり意識して自分の主張・美学を表現したようだ。作家とはそういうものだが、氏はモニュメンタル(公共空間を生かした作品展示)な仕事をされているので、場の強制力は絶対条件だ。かつ、今後とも室内の小空間を自作だけで埋めて個展をすることに、あまり感興がわかないのではなかろうか。そういう意味で他人の強制力で個展が実現できて、本人にとって意外であり、普段とは違ったチャレンジ精神が働いたのではなかろうか。

 壁面性という課題は制作が進むうちに、父・登氏を想起させたのではあるまいか。「父親と同じ油彩画家だけにはなりたくない。」 それが彫刻家を選んだ動機だと聞く。そこには、どっぷり浸かった父親の美えの親近感・反感・抵抗・独立心・・・青年期には必ず起こる思いだ。氏も五十八歳。はからずも子息が彫刻家の道を歩んでいる。自分という存在が二律背反的なものになっている。
 氏と登氏との作品における関係はどうか。今展でそれが確認できる。造形性における近似性・親近性は今作品群だけでなく意外にも通奏低音のように流れていたんだなと思う。そういう意味で今展は、『父を想いて、or国松登えのオマージュ』といえよう。 

 登氏の造形性の面白さはあるが、画面に漂う北国えの想・ロマンチシズム・女性好み・家族愛、そういう情緒的側面が明日香氏にどう働くのか。自己検証後のこれからの作品にそのへんを気にすることにしよう。

 来春、子息・希根太君のグループ展がここで開かれる。私はガッカリしている。希根太=根っこの太い男にそだてよ。一本立ちのすがしい男になれかし。そういう夢と強さを込めた父親のおもいである。表現者の紹介で家族性を前面に出さないほうがいいと思う。なんだかんだいって家族は子どもに弱い者である。甘い者である。下げなくて済む頭も下げる者である。他人が公的場でそういう関係を助長してはいけないと思う。特に表現者は個を問はれる存在だから。

2007'01.29.Mon
展覧会 投稿者:岩松@管理人代行 投稿日:2005/12/21(Wed) 14:41 No.3517  
 

3517.jpg ■「FROM 05TO 06

会場:さいとうギャラリー
会期:12月20日(火)~1月8日(日)
休廊:12月26・29・30・31日、1月1日

初日に管理人の代わりとして撮影に行って参りました。
コメントは控えさせていただきます。

展示作品を順不同にてご紹介いたします。

阿部 典英『イヌくんとイヌさん』       米谷 雄平『さうすぽいんと-05X』

大滝 憲二『環』                江川  博『無題』

高橋 英生『初冬の利尻冨士』       北浦  晃『知床・羅臼岳』

矢崎 勝美『COSMOS』            森山  誠『白い花瓶』

香取 正人『石狩河口』            田村佳津子『あーん』

渡會 純价『Mon Paris』            阿部美智子『ご機嫌なおるすばん』

坂本 順子『あ・ら・た』            柿崎  熙『親密な森』

佐々木けいし『緬(べん)』          藤本 和彦『標本「リン」』

荒井 善則『Soft Landing to Season』   谷口 一芳『シロフクロウ』

八木 伸子『ばら』               八木 保次『無題』

岸本 裕躬『コムラサキ』           川本ヤスヒロ『建物(長崎にて)』

工藤 悦子『酔華』              香西富士夫『はな』

中野 邦昭『遠い日』             浅野 天鐘『梅』

村本千洲子『昭和の思い出「餅つき」』   神谷 礼子『memory』

波田 浩司『羽の舞う日』          會田 千夏『自由研究』

佐藤 潤子『海へ・・・』            末永 正子『旦』

林   亨『眼を閉じて』            原田ミドー『なめらかな果実』

白鳥 洋一『金魚』              川上 りえ『Silent Moon』

加藤 宏子『continuumⅡ』         山内 敦子『お正月』

府川  誠『ワン・ツウ』            吉田  茂『synchronisity「始め」』

関川 敦子『温かくて大きな手』       内藤 克人『内と外 '05-04』

吉田 敏子『冬日』              毛内やすはる『うずまき』

藤野千鶴子『宙-天使の25時』       前川 アキ『水に点く炎』

佐々木 徹『大和する0と1』         米澤 榮吉『バラ』

北山 寛明『水玉の幻想』          友野 直実『05-移ろい』

金子 直人『YURARI KIRARI』        守矢 有里『希望』

武石 英孝『鷹の爪』             中田やよひ『鬚の神父』

高澤のり子『女の人』             岩本 勝美『厳冬昇陽』

林田理榮子『チワワ』            伴   翼『移動』

毛内 慶ニ『赤いバラ』            巌  信栄『羊蹄山』

山本 雄基『想像の箱』           佐藤萬寿夫『小袖の詩』

上野 仁櫻『赤い花』             金子 辰哉『赤の思ひ』

近藤 健治『初春の赤大根の花』     下田 敏奏『ふくろう』

斎藤 嗣火『立』               仲吉  功『小さな花』

折登 朱実『雪の教会』           泉  修次『06おみくじBOX』

永井美智子『a Happy Event』        阿部信美智『㈲カガミモチ製造』

櫻井マチ子『お姫様はワ・タ・シ』

2007'01.29.Mon
当ギャラリーに。 投稿者:岩松@管理人代行 投稿日:2005/12/21(Wed) 16:56 No.3518  
 

3518.jpg ギャラリーどらーるに国際的著名な彫刻家 流 政之さんが、国松明日香先生の個展を見に訪れてくれました。

長時間の間、管理人、国松先生と共にお話をされておりました。

2007'01.29.Mon
久しぶりに 投稿者:岩松@管理人代行 投稿日:2005/12/19(Mon) 10:51 No.3509  
 

3509.jpg 最近さっぱり赤文字・長文を寄せてくれなくなりました沼田町の怪人久保 元宏様から久しぶりにメールが竜馬@管理人宛てに入りました。
「すごく良い写真で、国松 明日香先生も喜ぶからUPしなよ」と言われましたのでご紹介します。
久保さんありがとうございます。感想は無いのですか?



もっと沈むためのレッスン 久保AB-ST元宏 - 2005/12/19(Mon) 11:13 No.3510   HomePage

3510.jpg >感想は無いのですか?

■岩松様、いつも身に余るお優しいお言葉に感謝いたします。がくっ。
さて、岩ちゃん、誰にも言っちゃーダメだよ。
上記の名前横の家マークに添付してあるURL『共犯新聞』1面トップに、今だけ期間限定で、私の『國松 明日香 展』感想文★超文学バージョンが掲載されています。クリスマスのデートの空いた時間にでも読破していただければ鬼も笑うめぇ。
■んで、その私の害毒な駄文は、実は「ギャラリーどらーる『國松 明日香 展』は、この角度から観るのが正しい!」テクストとなっているわけですが、その結果、水と光について考察したわけなのであ~りませんか。
んで&んで、どらーるで眼福後、今は亡きエルエテ近所のイタ飯屋で焼きたてピザを待っていた処、同伴した某娘がグラスの水をイタズラして、テープルの上にバラマキやがって、こんちくしょー・と、思ったら、あーららら、とってもきれいな「水の光」。これ、さっきのギャラリーどらーるで観たものよ。じゃ、この水、ふかないでこのままにしておきましょ。
と、見とれたのが、今回のカキコに添付させていただいた写真でございます。平成のゲハルト・リヒターと言われている名カメラマン、岩松様には片腹痛いでしょうが、なにとぞ周回遅れの年賀状と思い、サーバーに収めていただければハーリンも喜びます。
わん。



Re: 久しぶりに 岩松@管理人代行 - 2005/12/19(Mon) 11:45 No.3511  

久保様、毎度さまです。
すばやい赤文字レスありがとうございます。
早速、拝見させていただきました。
いつにも増して、またすばらしい文面ですねー。
そのまま共犯新聞の一面トップを掲載させていただきます。



流れろ 流される前に or 水の... 久保AB-ST元宏 - 2005/12/19(Mon) 11:49 No.3512   HomePage

~~ 流れろ 流される前に ~~

または

~~ 水の速度 光の永遠 ~~

「水脈に向かう B」(ドローイング)28×23cm
は、スピード。
016.jpg

「水脈に向かう J」(ドローイング)28×23cm
は、よどみ。
018.jpg

この二つで、本展覧会は、川をイメージしていることが分かる。

さらに、
「水脈に向かう H」(ドローイング)53.7×42.3cm
の、ユーモア。
033.jpg

それにしても、
「水脈に向かう G」(ドローイング)63.2×48.2cm
の、殺気は凄い。
024.jpg


しかし、本展の真髄は、これらではなくて、立体レリーフ群だ。これらのドローイングが、立体化されているのだ。

「水面の風3」(レリーフ)36×30×10cm
で、方向性の権力下にある荒い削られ方が生んだマチエールで統一された小判状のパーツが、ランダムに向きを与えられている。
015.jpg 
この角度が生む光の違いが示すのは、川という乱暴な括り方をされてしまっている水の粒たちの存在であるかのように一見、感じさせられる。
だが、まったく同じ表象であるはずの面たちが、まったく違う顔を見せている本当の理由は、それぞれの面の角度が原因なのではなくて、
國松の手による水滴の一葉、一葉によって、観ている者、つまり私の位置が、鏡の向こう側から相対化させられているからなのだ。
それに気がつく時、画廊に立つ私は、この画廊が川であることに気がつく。


「水面の風6」(レリーフ)40×42×13cm
小判状の楕円形が、個としての水の存在であるのならば、その上に美しい曲線で影を従いながらストロークされている黒く細い鉄のラインは、スケッチされた風か。
曲線がたくましい奥行きと、エロチックな影をちらりと見せる時、これらの作品が立体でなければならない理由がさらに加えられてゆく。
023.jpg


床に置かれた、本展で最も巨大な作品が会場の中央に横たわっている。
007.jpg
ここの画廊は本来は壁掛けの油彩画が中心なので、立体であり、しかも床置きであるとなると、普通は見る者を驚かさせるはずである。
しかし、私は驚かなかった。むしろ私は、この異形が我々を驚かさなかったことに、驚く。
川だからこそ、
「水面の風10」(彫刻)400×55×32cm
のスタイルにたどり着く必然性があるのだろう。


この作品は奇をてらっているのではなく、実は、作者の今回のテーマ「川」の原型に最も近い作品であるのだから、
本来であれば「奇をてらった」展示作品ととられる可能性を先回りして、
観る者の無意識の中では、きちんと画廊空間の中で川のイメージが抽象化されて処理されているので、驚くことはなく、自然に受け入れられるのだ。
013.jpg

観る者の抽象化された無意識を、具体的に確認したければ、床に眼球を寄せ付け、「水面の風10」の端の部分から真横へ水平に観てみるがよい。
025.jpg


この眼球の位置は、泳げないものには溺れる息苦しさを体験させ、泳げるものには水中の川の流れと水の光の愉楽を体験させる。

そう思った時、やや長い画廊は川底となり、
「水面の風8」(レリーフ)240×65×26cm
004.jpg 012.jpg
が、画廊の入り口で横一文字に川の流れの速度と、永遠の光の中へ私を誘い込む。

020.jpg

突き当たりの壁に、ただ一筋、準備されている
「水面の風9」(レリーフ)85×170×27cm
022.jpg
は、垂直に落ちてくる滝となり、


中央に横たわる川に水を注ぎ込み、左右の壁に飾られた水面では、観る者の視線との共犯によって、水が光へと自立する。
私は画廊中央に横たわって、流れてゆく。

0000118.jpg
自分自身が「川」になって気がつくのは、そう、人間とは、血液という水を持った一本の川なのではないのか!

そして、川はダムではない。
突き当たりがあっても、袋小路ではない。
この画廊もまた、突き当たりが左に折れ曲がり、川の水は一気に解放される。
008.jpg
そこで私が観たものは、再びドローイングの王国。
立体は再び、ドローイングに帰ってゆく。

私は國松の声を聞いたような錯覚に、溺れる。
「川でも、水でも、風でも、光でも、なんでもないのだ。」

作家は魅力的な題材からインスパイアされて、イメージしてゆく。その作業の中で、何度も具象と抽象を往復するのだろう。
大切なことは、具象であるかでも、抽象であるかでもない。
「往復」、そのものが大切なのだ。
水が流れることによって、光を手に入れたように。




本当に久しぶり 竜馬@管理人 - 2005/12/20(Tue) 09:23 No.3514  

3514.jpg 久保さん ご無沙汰しております。
久保視点での詳細な解説に教えられます。

更に、先日新潟県のマルキ・ド・サド米のお歳暮を頂き感謝に耐えません。
沼田のコングロマリット「マルキ 久保商店」が創業72年を経過していたことも今回初めて知りましたよ。
我が家からもご長男新太君に何かお送りしておきましょう。



崩れ落ちる前に 久保AB-ST元宏 - 2005/12/20(Tue) 18:14 No.3515   HomePage

3515.jpg 竜馬社長、こちらこそ、ご無沙汰して恐縮です。
最近は、久保+栄通教授=推定年齢100歳の『湿原シリーズ』ならぬ、『失言コンビ』(←栄通さん、まきぞえにしてゴメンね~♪)が登場せず、格調高いギャラリーどらーる掲示板でしたが、架空忘年会だと思い、私(&栄通さん?)のカキコミをお許しください(笑)。

>■今回の姉歯偽装事件には触れてもいいのでしょうか?
>>なんだか、建築関係&ホテル関係が親会社ですので、気が引けています(←柄にも無い)。
>↑
>全く構いませんよ。お好きにどうぞ。
>うちも設計事務所に電話して確認済みです(笑)。

■との、竜馬社長指定確認検査機関のお墨付きをいただきましたので、私の寝姿が見られたついでに、ハジも外聞も無く、私の美術作品を公開(&後悔)させていただきます。がくっ。
添付写真は北空知で配布されている商工会の新聞に私が毎月連載しているマンガですが、入稿したのが今月の7日だったのですが、発行日が今日で、たまたま大ニュースの日とドンピシャとなりました。
世界中の画家、美術愛好家、真正美術評論家の皆様が多数、訪問されるこの掲示板に自ら「絵」を添付する相変わらずのマヌケぶりに、ご無沙汰でも元気である(?)証拠だと思い、サーバーに収めていただければ幸いです。がくっ。



教授と言われて喜ぶ栄通 栄通 - 2005/12/20(Tue) 22:29 No.3516  

とうとう教授になりましたか。ありがとう。現在、退官教授の文章に四苦八苦中です。ある人から、「久保君の文学作品の感想文を」、というリクエストを頂きました。教授としては頼まれれば否と言えない性分ですから・・・・。が、明日から一泊二日の小旅行です。少しお待ち下さい。 

 ある人が、「最近、久保君書かないな。」て、言っていました。人気ありますよ。
 同じく、愛読者のある女性に、「美術文、書かないの?」「とんでもない。」という会話?をしました。書きたい人だと思う。感想・エッセー・人物論・地域論、書けるところからお願いしたい。多くの人の美術文に興味があります。
 別口で、ある書家が「感想・印象記で構わない。書いてよ。」これには心中かなり苦しい思いです。どなたか想像して下さい。ヒントは『純米』。

 いずれにせよ、教授称は止めましょう。それでは、また。 

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