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いーとあーとブログ

展覧会情報(旧ギャラリーどらーる掲示板より)

2024'04.25.Thu
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2007'01.29.Mon
遅れましたが・・・! 投稿者:チャトラン 投稿日:2006/04/20(Thu) 05:33 No.3759  
 

「3日おくれ~の♪、たより~を~♪・・(あんこ椿)」じゃー・・ないですが、おくれました!ちゃとらんです。(まだ あの密造ワインが効いているようです?!・・元気の良いワインでとっても美味しかったです。)  先日は、お参りができまして有り難うございました。「事」のお席も、ステキな貴公子のお隣で「シュン」とせず、会話が弾みました。順子さんのお陰です・・・こちらこそ、お礼申し上げます。



Re: 遅れましたが・・・! 竜馬@管理人 - 2006/04/20(Thu) 21:47 No.3760  

チャトランさん ヘッポコホームページにようこそ。
ここは初登場ですよね。
最初の書き出しの部分を見た時はUsagicchiさんかと思いました。(笑)
そうでしたか、貴公子でしたか?赤い文字を使わなければ“イイおとこ”なんですがね(笑)



Re: 遅れましたが・・・! usagicchi - 2006/04/21(Fri) 20:54 No.3761  

あの~Usagicchiはここにいま~す。♪♪ようこそここへ クッククック私の青い鳥~♪♪というところです。



秋田つながりだ~ 竜馬@管理人 - 2006/04/22(Sat) 08:41 No.3764  

3764.jpg ははは。usagicchi さんとチャトランさんは同じ人?と思われるかも・・・。
それにしても「♪♪ようこそここへ クッククック私の青い鳥~♪♪」櫻田 淳子とは古いね。しかも同じ秋田か・・・。
もしかして同級生?



奇行師(がくっ)。 久保AB-ST元宏 - 2006/04/22(Sat) 13:44 No.3767   HomePage

3767.jpg ■チャトランさんのパソコンの漢字変換機能が間違っていたよーで、沼田町の「ブキミな奇行師」でございます。
当日は、オッコちゃん嬢~チャ虎ン嬢~奇行師と、順子さんを囲む昭和フタケタの寅年生まれつながり座席であり、即興で平成の『トラ・トラ・トラ』を演じさせていただきました。
竜馬師の思惑通りの順子さんが喜んでいただけそうな(?たぶん)会に参加させていただけたことに、改めて感謝申し上げます。
また、個人的な話ですが、あの日から思わぬことで門馬さんと電話フレンド(?)になれまして、私にとっては素晴らしい副産物&引き出物(?)となりました。全てがいったん、順子さんのフィルターを通っていることが、偶然では無いような気がしています。

■さて、順子さんの昨年の深川市「うなかがめーゆ美術館」での個展にて、画廊主の渡辺通子画伯から、「順子さんの住所に近い方のお名前が芳名帳に書かれていますので、久保さんから坂本さんにお伝えくださいな、ちょいと。私は掃除で忙しいので。」と言い伝えられたことを、かのトラ座席で思い出し、「あっ、あれって、チャ寅ンさん?」「あら、そーよ。おーほほほほほ。」で、した。
■その、深川市「うなかがめーゆ美術館」も啓蟄の季節を迎えられたようです。
添付のDM画像のように、5月2日から、夏季シーズンのみの開廊が始まります。
午前10時30分~午後5時30分 月&金曜日は休館。
■チャトランさんも、オッコちゃん様も、某ステーション・ワゴンねぇさんも、門馬さんも、ハイ・スピード・ワゴン車(+下戸運転手付き?)にて、是非、深川市に絵画浴(by.栄通りさん)回り、沼田町「焼肉大門」+高級ワイン持込ツアーを私の参加できる日にご企画くださいませ。



Re: 遅れましたが・・・! 天然記念物 - 2006/04/22(Sat) 13:53 No.3768  

うっうっう。
皆様にはお会いできませんでしたが、こちらで順子ちゃんと皆様のことを考えて過ごしました。タケノコが出てきました。



裏が表に流出? 竜馬@管理人 - 2006/04/23(Sun) 14:10 No.3770  

天然さん 幾らか元気になられましたか?
裏ブログの面々が表に引っ張り出されてくる (笑)

昨日虻田の叔母と従妹の家に愛娘Ивановичと一緒に行ってきました。
そこで函館の犬好き美人女将と合流し、3人でお散歩を楽しみましたよ。
天然さん親娘は近々札幌に戻ることがありますか?



Re: 遅れましたが・・・! 天然記念物 - 2006/04/24(Mon) 18:35 No.3776  

函館の美人女将は、私が存じ上げている美人さんでしょうか?
ところでブハーリンは、あんなプラスティックにリードを引っ掛けるだけでおとなしくしているのですね。うちの坊やたちに見せてやりたい。
天然親子は5月の適当なところで戻ります。



そのとおりです 竜馬@管理人 - 2006/04/24(Mon) 20:26 No.3778  

天然さんよくご存知の若女将です (*^_^*) 。
函館の「犬好き若女将」と言えばあの方ですよね。
ブログに書いていますよ。



Re: 遅れましたが・・・! カリンズ - 2006/04/25(Tue) 14:48 No.3783  

みなさん こんにちは
当日チャトランさんと一瞬お会いしましたが、ご挨拶を
しそびれてしまいました。貴公子のお隣の方がチャトランさん
でしたので(写真で見て)やっぱりチャトランさんだったと・・
ここで時々読ませていただいているKさんと当日の貴公子様が
結びつかず、竜馬さんの紹介で「えっ こんなに若くて貴公子
だったとは・・・」と離れた席で思ったものでした・・・



幻の気功師 竜馬@管理人 - 2006/04/25(Tue) 16:54 No.3784  

カリンズさん 今晩は
Kさんを的確に紹介した文章を昔書きました。
このページ上部に[トップに戻る] [使いかた] [ワード検索] [管理用]と言うボタンがあります。
その[ワード検索]をクリックして「愛飲」と言う言葉を入力して検索してみてください。
そのインチキ気功師がどんな方かご理解頂けると思います。



Re: 遅れましたが・・・! カリンズ - 2006/04/25(Tue) 17:44 No.3785  

竜馬さん ひと仕事の前にちょっと覗いてきました。
「あの若さで・・・ やっぱり天才!! 怖いような
でも何だか懐かしいような感じにさせられました・・・
何故でしょう・・・
夜、落ち着いたらもう一度じっくり読ませていただきます。
天才だったとは・・・
カップルの長身の博士も印象に残りました。
竜馬さんは多士済々な方々との交流を楽しまれてますね・・・



違うって! 竜馬@管理人 - 2006/04/25(Tue) 17:59 No.3786  

カリンズさん 天才ではなく「天災」か著作権無視の「転載男」です!

じっくりは読まない方がいいですよ。頭がおかしくなります。

>竜馬さんは多士済々な方々との交流を楽しまれてますね・・・
 ↑
私は彼を「年の離れた友人」と称していたのですが、彼は私のことを自分のHPで「ちょっとした知り合いのオヤジ」とか「ジジイ」と書いています (ガクッ)



じっくり読んで・・・ カリンズ - 2006/04/25(Tue) 22:27 No.3787  

竜馬さん 今、繰り返し読みました・・・
うーん 私の頭は少々混乱気味です・・・
でも やっぱり相当に多才な方ですね!
人生フル回転で幅広く楽しんでいらっしゃるのでは・・・

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2007'01.29.Mon
「抽象派作家」今荘義男の画につ... 投稿者:T.nakamura 投稿日:2006/04/23(Sun) 11:50 No.3769   HomePage
 

0) 私は展覧会に絵を見に行く。けっして、「抽象派」というような意味不明で曖昧な観念を捕らえに行くのではない。絵画という視覚的存在(「物質」)にはそのような(非視覚的な)「観念」は発見できないからである。私は画家の作品(もの)を見に行くのであって、その画家の「脳内」(イメージ)を観察しに行くのではない。私は在るがままの作品そのものを仔細に観察しに行くのであって、その作品を生み出した画家本人との出逢いをあえてもとめているわけでもない。「抽象派」であろうが、「具象派」であろうが、絵画表現の純粋の行為の痕跡が画の中に見出されるなら、それで十分満ち足りる。


1) 仮に抽象派と具象派があるとする。お前はどちらの方がすきなのかと問われるなら、私は挨拶としてだがいちおう具象派も抽象派もと応じるつもりである。どちらも人間の精神が生みだす「絵画」であるという一点で同じじゃないかといつも思う。

抽象派と具象派の決定的違いはどこに存在するのであろうか。両派の境界線はどこに引かれるのであろうか。未だかって深く考えたこともないこの問題について、行きがかり上、少しだけ考えてみることにする。

人間の意識が境界線を決定する。画家である以前の人間の精神がその境界線の存在を思う。「差異」「対立」「矛盾」が人間の意識に生じるなら、その現象は竟には「言葉」上の区別となって定着するしかない。人間の言語的意識には常にその傾向を内包している。(人間精神が生みだす「同一」の絵画表現の地平に、表現方法上の「差異」が生まれる。)

そこで「同一性」と「差異性」の関係性の眼でこの問題に近づいてみる。で、ここでは絵画表現へと向かわしめる画家の内的モチーフの発火点(「同一性」)に着目すると、モチーフの発火点の在り処(「差異性」)が抽象派と具象派では微細に違っている。

「具象派」は絵画表現の内的モチーフの在り処をつねに意識の外の世界に発見する。彼の眼の玉は己の意識の外に存在する森羅万象の「リアリティ」にじかに対峙する。外界の森羅万象の無数の現象を見る、観察する、そして考える。「抽象派」はそれとは位相が逆であって、絵画表現の内的モチーフの在り処をつねに意識の内の世界に発見する。おのれの意識の内側に存在する心的現象の無限の世界とじかに対峙する。内界の森羅万象の無数の現象を見る、観察する、そして考える。

きわめて単純化するなら、画家が自分の眼の前にある「もの」の方を信用するのか、それとも自分の眼の奥にある「ものの像」の方を信用するか、それ(だけ)が違いの急所である。

具象派は「もの」から触発されるのを待ち、それを写生する、それを素描する、それが表現にまで転換するまでの間、何十回も何百回も対象と格闘する。抽象派は「もの」から触発されるのを待つことをしないし、もちろん、それを写生もしない、素描もしない。おのれの「脳内イマジネーション」の力(のみ)を頼りにする覚悟は決めている。「もの」の存在など、歯牙にもかけない。

どちらも同じ人間の精神の行為であるはずなのだが、その精神にやどる世界観(世界をどう捉え、どう表現するかの基本的構え)が決してひとつきりではなく、いくつも(対立し、矛盾しながら)存在するから、絵画の世界にも、おのずと、「抽象派」と「具象派」の対立が生まれる。

2) 今荘さんはわたしは「抽象派作家」であると宣言をした一人である。おのれの絵画の方向性についての、その宣言はずいぶん昔にさかのぼる。それは33年前までさかのぼる。今荘さんは1930年生れであるから40代に達したばかりの頃である。それが1973年である。

絵画の方向性において、あえて「抽象派」という架空の一座標軸をかかげ、それを絵画実践の磁場をつらぬく機軸としてあらためて据えなおし、そして画家の同志的関係をつくりだす。その必要と必然があったからこそ、今荘さんをして、そのような行動に踏み切らせたのだと思うのであるが、さて、私はその当時は25歳の無知な青年に過ぎない。そのような先鋭的な行動を志した画家たちが存在したことさえ私は知らなかったのだ。

したがって、今荘さんはこの「抽象派」という架空の座標軸を絵画的に実体化する果敢な挑戦を実にそれ以後30年以上も続けている。その持続する精神のあり方に敬意を表する次第である。

3) 今荘さんのふたつの大作のタイトルはどれもおなじ「古里」である。この「古里」というモチーフは近年の今荘さんの画業を貫いていてかわるところがない。その日本語の「古里」という語が持っている感触(語感)からイメージする世界と、今荘さんの絵画的に表現された世界の間にはおおきなへだたりがある。その「へだたり」こそ、「抽象派」と「具象派」との決定的違いの在り処を示すものであろうか。

2005年と2006年に製作された「古里」のサイズはどちらも同じ大きさで、縦が180センチ横が300センチである。それが2枚並べてあるから、見る側では、縦180センチ横600センチの世界と向き合うことになる。大きな世界である。

「古里」のモチーフを具象的に写実的にあらわすようなものの、かたちも影も、画面のどこをさがしても見つけだすことなど誰にもできそうにもない。画の前に立つ者が無意識に身に着けている先入観を捨てて、画の前で「空」になることをもとめている。いささかでも「感情移入」することを許す具象的な像の破片を画の中からきれいさっぱり排斥している。で、今荘さんのやわらかい精神の眼が意識の奥底にいつも静かに見つめているのは「古里」の心象である。その「古里」の心象をいかにして造形化できるか、実体化できるか、物質化できるか、そのことだけがひたすら追求されているだけである。この追求の根が奈辺にあるのか、私には不可解である。その精神の苦闘・格闘の軌跡のみがとどめられている。それのみを観取されることを画がねがっているという佇まいである。

画の前に立つと、誰もが感じるはずだとと思うが、画がしずかに呼吸している。

4) 画の物質化のベースになっているのは、風雨にさらされた古の農家の土壁の表情のように、人間が何十年も何百年も歩行するだけで踏み固めた古の土の道の表情のように、堅牢なマチエル(文字通り、物質)からできている。画家は人間の個のいのちと運命をこえるものの存在(世界地平)をまず視覚的に物資化することに専心する。そこを土台にしてのみ、人間のいのちの儚い華は生き死にしているからだ。

では、人間の個人の悲しい運命といのちの存在、そのかたちと影はどこに見つかるのか。それがやわらかな曲線で囲いこめられているまるいかたちのほぼ同じ大きさのフォルムである。画の中にほぼ同系のフォルムを複数個見つけることができる。それは画家の生の軌跡のクロニクルの、ある特定の時間と場所を象徴するものでもあるかもしれない、あるいは画家の人生のなかで出遇っては生き別れ、死に別れした人々の存在の記憶の象徴であるかもしれない。そのフォルムは堅牢なマチエルの表面に根を生やしたような佇まいでそこに存在している。ときにはそのフォルムのひとつに特別の色彩である赤がにじんでいたりする。

それらのフォルムの表面にも、ベースの堅牢なマチエルの表面ににも、パレットナイフで抉ったように、痛々しい痕跡がいくつも認められる。絵の具の層を突き破って、下地の木の表面がそこだけ傷跡のようにむき出しになっている。画家のやわらかな堅牢な精神の水面に小石が投じられる瞬間である。無意識の奥底にあるかもしれぬ、画家の明晰な精神ですら制御不能な、あの「狂気」の嵐の先端が堅牢なマチエルに抵抗し、そこを喰い破る。その痕跡が波紋のまま残存する。それをあえて残した画家の意志の奥底を私は想像できない。

「古里」の画面に漣がたっている。その只ならぬ波形を画家はその在るがままのフォルムでとどめている。

「抽象派作家」宣言をした四十代の今荘さんはいまは七十代である。30数年以上も、「抽象派作家」という孤独なポジションに身をおいて、格闘し続けたことになる。何に対してなのか。自分という人間精神の不可解に対してである。その精神の軌跡の一端だけがここにそのまま存在する。

5) 「具象派」と「抽象派」との間にある絵画の行方について、占うことはできない。

「絵画」の原点である先史時代の洞窟壁画を起点にして数万年のあいだ人間は絵を描きつづけてきた。誰ひとりとして、絵画表現の、その先を占うことも透視することもしないで、日々の精神の重圧と不安と絶望に向き合いながら、おのれの「脳内イメージ」を純白の平面に純粋に投影することのみを夢見つづけてきた。

さて、私が見たいものは絵画の世界に発見できるであろうか。それは誰にもわからない。



「第33回北海道抽象派作家協会展... T.nakamura - 2006/04/23(Sun) 19:00 No.3772   HomePage

4月22日の午後に市民ギャラリーで開催されている「第33回北海道抽象派作家協会展」を見てくる。

「第1展示室」すぐ左の壁面に、今荘義男の大作が2点。①「2005古里」(180×300)②「2006古里」(180×300)今荘さんと画の前で挨拶をかわす。すぐ右の壁面には三人の作家、横山隆・佐々木美枝子・鈴木薫の作品。横山隆の作品が4点。①「彼方へ4」(183×92)②「彼方へ3」(183×92)③「彼方へ2」(183×130)④「彼方へ1」(183×130)佐々木美枝子の作品が5点。①「作品」(S60)②「作品」(F60)③「作品」(S60)④「作品」(F60)⑤「作品」(S60)鈴木薫の作品が2点。①「記憶の根に聞く」(180×90)②「ある曲の根を聞く」(F120×2)一番奥の壁面には、外山欽平の組絵「アイノサンカ」である。F100サイズのタブローが12枚組み合わされて、ひとつの大きな世界が表現されている。すべての作品はアルファベットの「i」(アイ)をモチーフにしている。そのヴァリエーションの展開である。最後の壁面には二人の作家、服部賢治と熊谷知之。服部賢治の作品は6点。①「作品A」(F100)②「作品C」(F30)③「作品D」(F100)④「作品B」(F30)⑤「作品E」(F100)⑥「作品F」(F30)熊谷知之の作品が6点。①「稔りの地」(150×200)②「地を守護するもの」(200×150)③「遥かな地」(150×300)④「湧きあがる宙へ」(220×180)⑤「風の棲む所」⑥「風の稜景」展示室の真ん中に、近宮彦彌の「ネオン インスタレーション」が置かれている。

「第2展示室」すぐ右の壁面には三浦恭三の作品が5点。①「循環No.32」(F100)②「循環No.31」(F100)③「循環No.34」(F100)④「循環No.30」(F100)⑤「循環No.33」(F100)右奥には、吉田英子のインスタレーション「実と虚(気)」が展示されている。突き当たりの壁面には、二人の作家、あべくによしと林教司。あべくによしの作品は5点。①「記憶の箱(風が透き通った日)青さの中で3」(60×60)②「記憶の箱(風が透き通った日)青さの中で1」(F50)③「記憶の箱(風が透き通った日)Green1」(F50)④「記憶の箱(風が透き通った日)青さの中で2」(F100)⑤「記憶の箱(風が透き通った日)Green2」(60×60)林教司の作品は5点。①「K-U」(90×90)②「K-U」(90×90)③「K-U」(90×90)④「K-U」(73×73)⑤「K-U」(90×90)左奥の壁面には、後藤和司の大作「緑のScene2006Ⅰ」(M100×5)。

14時過ぎ、林教司さんが現われる。直後、「タピオ」の竹田さんが姿をあらわす。14時30分に小休憩。缶コーヒーを飲む。椅子に腰をおろし、「北海道抽象派作家協会小史」を読む。外山欽平さんの「友人の死」を読む。



無題 竜馬@管理人 - 2006/04/23(Sun) 20:29 No.3773  

T.nakamura さま

T.nakamuraさまご自身が素晴らしいホームページをお持ちのようですし、いつも毎日の様に画像入りの短いコメントを寄せておられるサイトがおありなのに、何故この様な書き込みだけ当サイトにされるのでしょうか?

このへっぽこホームページの管理人としてはT.nakamura さまの意図が分からなくて大変戸惑っております。

当サイトが賑わっておらないので、華を添えてくださるお気持ちならご遠慮申し上げたいと思います。

無学な管理人には難しくて良く理解できない高尚な評論は、その高い質のホームページでご披露された方がふさわしいのではないかと思う次第です。



別離の挨拶 T.nakamura - 2006/04/24(Mon) 16:47 No.3774   HomePage

不可解な投稿にたいする疑義、もっともなことと感じ入る次第です。

亭主がそのようにおっしゃられるのですから、客でもない私、お言葉に従い、いざ退散という次第でございます。

わずかな時間でありましたが、身に余る、一期一会の興にあずかり、ありがたく思う次第です。

早々に、退散いたしますので、ひらにひらに、ご勘弁くだされ。これにてさらばでござる。

2007'01.29.Mon
ブログ 投稿者:Ryo 投稿日:2006/04/11(Tue) 15:17 No.3727  
 

久しぶりに更新しました。



Re: ブログ カリメロ - 2006/04/13(Thu) 00:35 No.3733   HomePage

ふふふ、上げちゃいました!



Re: ブログ 竜馬@管理人 - 2006/04/13(Thu) 05:43 No.3734  

memeさん 大胆な。。。(笑)



Re: ブログ カリンズ - 2006/04/13(Thu) 20:45 No.3735  

竜馬さん memeさん こんばんは
オープニングパーティの八木保次先生の素敵なお洒落に
しばし見入りました・・・



Re: ブログ カリメロ - 2006/04/13(Thu) 22:31 No.3736   HomePage

カリンズさん、こんばんは!ご無沙汰しています。HPにいらして下さってありがとうございます。たまに書き込んでくださいね!

2007'01.29.Mon
小熊秀雄、長谷川利行、吉川孝(... 投稿者:栄通 (丸島) 投稿日:2006/04/12(Wed) 15:33 No.3729  
 

 今朝の道新朝刊に「小熊秀雄賞廃止 旭川・協賛企業減少などで 募集今年限り」という記事が、一面にあった。
 運営資金上での事態だ。残念なことである。寂しくも思う。一連の流れを踏まえて、作家・小檜山博氏は「このままでは日本の文化は死滅していく一方」と、紙面にある。賞が無くなって日本文化が滅びるならそれも仕方がない。賞は表現者にとって励みだが、賞の為に表現しているのではないだろう。小檜山氏、君はそうだったのかい。小熊は僕の言葉の10倍の迫力で氏や道新を罵倒しただろう。

 小熊秀雄(1901-40)。不実な男だった。自分の参加した絵画展に、観覧した女性とすぐに関係を持ち、結婚した。その妻のいる食卓に浮気の相手を連れてきては暴言を吐いていた。幾人も、何度も。
 真摯な男でもあった。生い立ちや家系、子どものこと、晩年と死を思うと、その創作活動とあいまって暗くなってしまう。

○「池袋モンパルナス 小熊秀雄と画家たちの青春」
 おととしの12月、旭川まで観に行った。特に、靉光(あいみつ)の「梢のある自画像(1943)」が、とりあえずの目的だった。小熊の自画像は、なんだかコッチを寂しげに見ていて、やるせなくなってしまった。絵と文章の表現の違いと言ってしまえばそれまでだが、両者の根本的違いを感じた。絵は余りに心情が素直にでていた。他の画家たちも概ね同じだ。時代だと言ってしまえばそれまでのことだが。「池袋モンパルナス」、詩人の一発ネーミングにはほとほと感心する。
 松本俊介、麻生三郎、大野五郎、寺田政明、長谷川利行等がいた。(つづき)

 



Re: 小熊秀雄、長谷川利行、吉川... 栄通(丸島) - 2006/04/12(Wed) 16:28 No.3730  

 リコー、リコーと吉川君が言う。とりとめのない雑談の中から出た作家評の言葉である。話の流れから、すぐに利行と判った。すこしかみ合わないところもあったが、意は汲みあ
えたと思う。会話は別の事に移った。

 長谷川利行(1891-1940)。京都生。
 野垂れ死にという言葉を、時に芸術家に冠することがある。彼に献呈しよう。独身、放浪、貧窮、病気、最後は放浪病者としてその世界の収容所で死んだ。(上記図録より)
 なんでもない東京の風景画だが魅入ったの覚えている。特に油彩の白に、『青春の白さ』だった。厚塗りで、描き殴るようなタッチだった。ここはリコーを語る場でない。吉川
展に行こう。

 「冠水橋」。魅力的なタイトルだ。僕にとって橋とは、こちらの世界とあちらの世界を結ぶ存在、異次元を繫ぐ物、男と女の間の深い深い川を跨いでくれると思
はれる物だ。
 彼の場合は絵画自体が川底で、性行為している存在が橋なのだろう。橋としての男女が水に覆われて沈んでいる。しかも、獣姦のような体位で。絵を覆っているブラック・アン
ド・ブルーは川底色だが、羊水と言ってもいいのだろう。ベットは生と死の象徴か。ほとんどの現代人は、病院のベットで始まりと終わりを迎える。大きな目を持つ顔。僕にはこ
の顔が最後の宗教画家と言われたルオーに見えて仕方がない。見る・見られる存在としての作家、作品、観覧者。それはともかく、視線は男女と観覧者をみている。ネズミはパソ
コンのマウスに見立てて、現代の象徴であろうか。背景に窓らしきものがある絵もある。これだけの絵だ。以上のように書けば、僕がどう彼の絵をみているか察しがつくと思
う。

 が、僕にとって吉川絵画の喜びはそこにはないんだ。絵を見ていると、吉川君が絵を描くために絵の前に立っているのが連想される。あんまり走らない絵筆、顔は徐々に、徐々
に真っ赤に凍り付いていく。もしかしたら、真っ青かもしれない。目が体が力んでいく。ひっぱていない弓の状態だ。なんか、そういうのを連想してこっちまで鑑賞するのに力が
入ってしまう。

 彼にはもっと、もっと上手くなってもらいたい。
 人目で伏木田臭を感じる。氏の絵は観念的だが、彼のは肉感的だ。絵としての基本的な違いは認めるが、どこか氏にもたれている感がする。シリーズ化はしかたないがマンネリ
化に注意ということだろうか。例えば、年齢が近い波田君。マンネリの弊を感じる。もったいない。
 これ以上のことは判らない。情けない。鑑賞修行に努めて、次はもう少し言えるようになりたい。その時は彼ももう少し上手くなっているかもしれない。
 34歳と54歳の競争だ。



Re: 小熊秀雄、長谷川利行、吉川... 栄通 (丸島) - 2006/04/12(Wed) 16:37 No.3731  

3731.jpg (会場にて)



アラッ。まあ~。 竜馬@管理人 - 2006/04/12(Wed) 23:48 No.3732  

美術も文学も何ひとつロクに分かっていない管理人のヘッポコHPが最近アブナイ表現の文章に席巻されています。

よく読むと頷けることが多いのですが、ところどころの過激表現にハラハラしています。

みんなスゴイなぁ。と流しておこう。

2007'01.29.Mon
佐竹真紀さんとデジスタ 投稿者:栄通 投稿日:2006/04/09(Sun) 13:06 No.3721  
 

 昨夜、かなり遅い時間です。BS2でデジスタ・アワードという番組があったみたいなんです。映像やインスタレーションなど、たぶん投稿があったなかから4作品選んで放送し、優秀作品を選ぶんだと思います。それを、またまた多分ですが、年度末に一挙放送し最優秀賞を選ぶのではと。
 その番組の最後30秒位をたまたま見たんです。なんと、駒沢さんや小林麻美さんと同期の(と、思うんですが)佐竹真紀さんが優秀作に選ばれているではありませんか。顔はしりませんが、名前といい、喜びのコメント風景が雪国だから間違いないと思います。一瞬ですが作品内容から判断しても。オメデトウ。

 受賞理由は見てないので判りません。ので、一般的な佐竹ワールドの紹介です。いい加減な投稿ですいません。

 映像作家です。例えば、茶の間など一枚の古い写真を手をかざして写しながら、背景は現在の茶の間を映し出す。過去と現在、自分と家族や友人、知人の関係を映像という動きと写真という一瞬性で問い直すというモチーフだと思います。核は映写し、映像を覆っている「佐竹真紀」という個であり自分です。
 新城史子さんという作家がいます。30代前半だと思います。彼女も写真や本という形で似たような作品を発表しています。新城さんは完全に私小説的で、変な話ですが、家族にだけ作品を見てもらいたいという倒錯的複雑さがあります。佐竹さんも私小説的なところはありますが、より明るくてオープンです。社会性や内面性の追求という面は希薄でしょう。
 時間・空間と親密に自己を取り巻く人たちとの関係のなかで、自分の有り様を見つめるというスタンスだと思います。

 番組を見た人のコメントがいただければ嬉しいです。再放送、あるんですかね?



Re: 佐竹真紀さんとデジスタ 竜馬@管理人 - 2006/04/09(Sun) 17:36 No.3722  

佐竹 真紀さんという方は教育大美術のデザイン学科映像デザイン(正規名称かどうかは不明)を終え、大学院を昨年修了された方ですね。
駒澤 千波君の1年先輩の方だと思います。
昨年も大きな賞を二つ、今年もひとつ受賞されたとは聞いておりました。
私もコンチネンタルギャラリーでお名前を見た程度ですが・・・。



デジスタといえば、 S-toshi - 2006/04/10(Mon) 17:59 No.3724  

司会(NHK解説委員)のナカヤヒデさんとは東京時代(笑)に
数年一緒に仕事していましたね。なつかしくよく番組みているのです。かなり仲良しでした。
(彼はファッ○ョンデザイナーとして、松○伊予のコスチュームも手がけたことがあるのです。私と知り合う前のことですけど)



Re: 佐竹真紀さんとデジスタ 森の居候 - 2006/04/11(Tue) 15:48 No.3728  

ご本人に確認したところ以下で再放送の予定だそうです。
金曜日14日の午後3時からBSハイビジョンで放送されるようですよ。当日、新聞などでご確認の上ご覧いただけると思います。
新しい北海道、映像デザインの幕開け!佐竹ワールド楽しみですね。

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