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いーとあーとブログ

展覧会情報(旧ギャラリーどらーる掲示板より)

2024'04.29.Mon
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2007'01.29.Mon
展覧会案内 投稿者:竜馬@管理人 投稿日:2005/10/26(Wed) 09:32 No.3415  
 

3415.jpg ■「川井 紘子個展」 札幌時計台ギャラリーB室

会期:10月31日(月)~11月5日(土)

時間:午前10時~午後6時(最終日午後5時)

川井 紘子さんから個展のご案内を頂きました。
毎年拝見しておりますが、川井さんの深みのある色調が心に沁みます。



展覧会 竜馬@管理人 - 2005/11/06(Sun) 09:41 No.3441  

3441.jpg ◆「川井 紘子個展」 札幌時計台ギャラリーB室

最終日の午後4時過ぎでしたがやっと行くことが出来ました。
私自身も川井さんの作品にご自身の心象がとっぷりとこもっている様な絵が好きでしたが、今は展覧会に行けない家人がご厚誼頂いており「画像を撮ってきて欲しい」との依頼がありましたので訪れて参りました。
今年の作品は全般的には昨年・一昨年の作品とは多少変化していた様に感じました。
作品に川井 紘子そのものが以前より投影されておらず、むしろ淡々と描かれている様に感じました。
もちろん、作品そのものは出来は以前と変わらず味わいのあるもので、堪能することは出来ました。
作品をリンクさせます。
・「通り過ぎる」・「空に感じること」
・「気づかずに」
・「心落ちつかせ」・「湖の夜」

・「失った景色」・「そのまま待って」・「通りすがり」

・「夜の散歩」・「そっとそのまま」・「風の気配」

・「何も気づかずに」・「通りすがりの刻」・「秘密」

・「切り取られた部屋」・「行方定めぬまま」・「遠い町の風」

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2007'01.29.Mon
展覧会 投稿者:竜馬@管理人 投稿日:2005/11/06(Sun) 01:57 No.3439  
 

3439.jpg ◆「田畑 卓也個展」 札幌時計台ギャラリー

開催中の第80回 道展で新会友に推挙された田畑 卓也さんの個展を開催されておりました。
ご案内を頂いておらず、川井 紘子さんの個展を観ようと訪問した折に知って訪れました。
昨年の8月に道新ギャラリーで行った「第5回 グループ プラスワン展」で、道展会員の坂東 宏哉・千代 明 ・谷口 明志さんとの4人展で拝見しておりました。
プラスワンの時はまだ色が加わっておりましたが今年の道展も今回の作品もほとんど無くなっておりました。
入室した瞬間、土曜日の午後4時過ぎでしたので「アッもう外したのか?」と錯覚をしてしまいました。
作品をご紹介します。
「アーチ」「11の幸運」「内なるもの」「選択」「果ての白」「来」「その部分」「周」
どんどんとこそぎ落として姿がヨガの修行僧のイメージを田畑さんの作品に感じました。
この先がもとても興味が持てます。

2007'01.29.Mon
展覧会案内 投稿者:竜馬@管理人 投稿日:2005/10/13(Thu) 15:53 No.3383  
 

3383.jpg ■「野本 醇 個展 ― 画業55年の軌跡を含めて ― 札幌時計台ギャラリー

10月24日(月)~29日(土)

伊達市にお住まいの主体展・全道展会員 野本 醇 さんの個展のご案内を頂きました。

先月も小川原 脩 記念美術館での「麓彩会展」で案内状に印刷の「森の光 2004」120号を拝見して参りましたが、今回の個展は副題にもありますように、過去の55年の画業の軌跡を見せて頂けるとのことで楽しみです。

今回は近作をA室に飾り、B室には古い作品を並べられるとのことです。
昨年美術評論家の鬼丸 吉弘先生の「札幌市文化功労賞」受賞のお祝いのパーティーで、一番最初の教え子として野本 醇 さんが登場された時は驚きましたが、野本さんも私よりひと回り上の午年ですから今年75歳です。
まだまだお若く、お元気でバリバリの現役作家です。



展覧会 竜馬@管理人 - 2005/10/25(Tue) 12:39 No.3411  

3411.jpg ◆「野本 醇 個展 ― 画業55年の軌跡を含めて ―  札幌時計台ギャラリー

野本 醇 75歳。年齢を感じさせない若さをお持ちの野本さんですが、本格的に作品を発表するようになってから55年の節目を迎えて、古い作品を含めての個展を札幌でも観て頂きたいと考えての個展の開催になりました。
新旧取混ぜて39点を飾っておりました。
A室は全道展に出品しました「森の光」(100号)と、主体展に出品した『季節の光』(100号)、そして先日「小川原 脩 記念美術館」での「麓彩会展(47)」に発表した『季節の窓』(50号)以外は全て未発表の今年の作品でありました。
A室入り口付近にモノタイプのデカルコマニー(圧力転写)を一捻りした作品が5点展示されておりました。
私は野本さんがこの種の作品を発表されたのは初めて拝見しましたが、作品制作上のヒントを得ようと実験しているうちに面白くなって作られたのではないかと勝手に想像しております。
「イメージの源集」
「青の諧調」
「風の影」
「2つの情景」
「海からの便り」
一捻りと書いたのは転写して剥がす時にちょっとズラすのが味噌だそうで(笑)、嬉しそうに説明して下さいました。
A室の他の新作をご紹介します。
「先生、随分描いたね」と言いますと、『うん、他にな~んにもすることが無いからね』と冗談めかしておりましたが制作意欲は益々強くなっているように感じました。

『光のなかに』(3号)  ・『北窓』(15号)
『教会ととり』(8号)  ・『光の記憶』(50号)
『丘のとり』(4号)  ・『北窓の静物』(20号)
『とりの歌』(6号)  ・『窓辺のものたち』(15号)
『春のとり』(6号)  ・『月明かりのなかに』(30号)
『光と影』(20号)  ・『室内風景』(10号)
『北の光の静物』(30号)  


以上が新作のでありました。

B室は1950年代から2000年前後までの作品が飾られております。
今は精神性の高い硬質な作品を制作されておりますが、初期の頃の作品でとても興味を引いたのが2種、3点ありました。
当時、舗装された道路が少なかった時代に、道路工事現場からアスファルトの塊を貰い持ち帰ったそうです。
断面の光沢に惹かれて「この輝きを絵に描けないものか?」と見つめているうちに、「これを溶かして絵の具にしたらどうなるだろうか?」と思い、鍋でグツグツと煮てみたそうです。
部屋中黄色い煙と猛烈な悪臭になったそうですが、「何とか絵の具になる」と確信してボードに描いた(塗りたくった?)のが、『黒の交錯』(1956)と、『黒い核』(1957)、その拡大図だそうです。
普通の絵の具と違いきめ細かくぬれないところは油で埋めたのが効果となって気に入っていたのですが、知人に『こんなことを続けていたら肺がんになる』と言われたのと、夏になるとアスファルトが溶けて流れ落ちて来るので止めたと笑っておりました。
もうひとつ、『円のある風土』(1962)という作品が飾ってありました。
これは、京極町の側の山の中に鉱山か鉄鉱石の集積所があり、その周辺の川に沈殿している「赤い色の泥」を新日鉄の職員にもらい、絵の具として使用することを思いついたそうです。
いろいろ試行錯誤の末、背広の芯地をキャンバスにして、泥とうどん粉の糊を混ぜて絵の具としたそうです。
拡大図を見て頂ければ分かる様に、きっちりマチエールも作られておりすす。

他の昔の作品もご紹介します。
撮影している時に「札幌時計台ギャラリー」の荒巻 義雄さんが見えて『昔の作品の方が好きなんだ』と仰っておりましたが、ご覧になって頂きたいと思います。

『羊の星座』(1972)  ・『冬至』(1996)
『追憶の裸』(1972)  ・『森の春』(1998)
『森の食卓』(1974)  ・『白いテーブル』(1997)
『春を待つ』(1977)  ・『黒い箱舟』(1999)
『冬の丘』(1976)  ・『山羊のある静物』(1969)
『冬の形象』(1989)  ・『風土のなかのうし』(1965)
『個の存在』(1991)  ・『いのちのかたち』(1987)  



野本 醇 さんは、B室の応接セットに腰掛けながら『いやー、昔の作品を前にしていると疲れるね~』と話しておりました。
「どうして?」と聞くと『この作品を描いた50年間の1枚ずつにその当時の苦労や思い出が浮かんでくるのでね。楽しんで描いたことが無いからね』とのことでした。
歩み続けてきた方だけの実感でしょうか。

2007'01.26.Fri
展覧会 投稿者:竜馬@管理人 投稿日:2005/10/25(Tue) 15:02 No.3412  
 

3412.jpg ◆「藤野千鶴子展」 札幌時計台ギャラリー

美術文化・新道展会員 藤野千鶴子さんの個展を観て参りました。
絵画芸術に触れてから日も浅く、専門的なことは良く理解していない管理人は、藤野さんの作品を語るべき言葉を持ち合わせておりませんが、以前よりも明るく、スイングしている感を持ちました。
楽に描いていると言うと語弊がありますが、より楽しく描いているのではないかは感じました。
「花…星の花」「ミツバチハッチの花畑」「宙アンダンテ 05」や、この2枚の作品は少女の宝石箱みたいな煌びやかさを感じますし、「宙アンダンテ y」「宙アンダンテ R」、同じく「宙アンダンテ 」の2枚を見ていると錯綜する内なる宇宙に自分だけの光を見出しましたよと語っているようでした。

他に、後藤 和子さんにヒントをもらったという和紙へ描いた小品が一壁飾っておりました。

2007'01.26.Fri
展覧会 投稿者:竜馬@管理人 投稿日:2005/10/12(Wed) 22:29 No.3378  
 

3378.jpg ◆「伏木田光夫油絵個展」 札幌時計台ギャラリー

全道展会員の伏木田光夫さんの個展を観て参りました。
いつもながらのことですが作品点数の多いことには驚かされます。
今回札幌時計台ギャラリー2階のA室~B室~C室の全室を使い、さらに廊下まで飾っておりました。

何せA室では大小31点が展示されており、B室でも23点
C室でも24点が飾られておりました。
更に廊下にはサムホール10点を飾っており、私が数えたのでは合計88点がの一大個展でありました。

そして、更に驚くのはその殆どが2005年の作品であったことでした。
全道展の重鎮の方々には親しく教えを頂いている方が多い中で、伏木田先生とは今まであまり接点がなく良く存じ上げないので驚きました。

「北海道では僕が一番沢山描いているかも知れないけれど、ヨーロッパに行けば僕の10倍くらい描いている作家は沢山おりますよ」とのことでしたが、「やはり描いて描いて筆を持つ手が自然に動くようでなければいけないのです」という言葉や、「北海道の作家は頭で描いている人が多く、深くて哲学的かも知れないけれど、その分絵が重くなっておりますね」との言葉も伏木田さんだから言える言葉かも知れません。

更に「最近の若い方は画肌重視の風潮も強くて、ナイフで絵の具を塗ったくったり、何で絵の具を塗っているのか分からない作品を多く見ます。概して絵が汚いですね」ともおっしゃっておりました。

浦川の「伏木田光夫美術館」には常時350枚の作品を置いているのと、ご自身の作品保管庫は「3,000枚の作品を置ける設計をしたのだけれど、最近それを超えてしまいました」とのことです。
作品は88点の作品数を見た段階で画像UPすることを諦めました。



頭をかく 久保AB-ST元宏 - 2005/10/13(Thu) 03:07 No.3379   HomePage

3379.jpg >絵が汚いですね

■どんな絵を語る時にでも、言葉を慎重かつ大胆に(がくっ)選ぶ習慣が付いてしまった私たちですが、伏木田さんの絵を語る時は、それまでの言葉の意味が変わる瞬間を何度も経験している私です。
たとえば、私の使う言葉として、伏木田さんの絵が「汚く」感じる時があります。もちろん、これは悪い意味ではなく、エネルギーを感じる・とゆー意味が産み&選んだ言葉です。
今回、私が画像添付させていただいた作品「窓辺の赤いテーブル」は、そんな中でも「汚く」ない作品と、私は感じました。
そしてまた、そう感じ、その言葉を選んだ時ですら、「汚く」ない・とゆー言葉もまた、伏木田さんの作品世界の中での相対的な位置を与えられれた言葉なのですね。
その証拠に「汚い」絵を観続けた後で、「窓辺の赤いテーブル」のように、やや整理された作品に出会うと、ハッとさせられ新鮮な感動が浮かび上がってきます。と、同時に、「ああ、もっと汚い絵が観たい!」という相反した気持ちが私の中から浮かび上がってきて、伏木田さんの恐るべきエネルギーに自分の言葉を「汚して欲しい」とまで感じてしまいました。

作品が、言葉の意味をズラし、
言葉が、作品に近づこうとする。

それは不幸なことではなく、コーヒーの湯気のようなものなのでしょう。
膨大な作品を描き続ける伏木田さんの圧倒的なエネルギーに囲まれた札幌時計台ギャラリーの2階で、ギリギリのところで私の言葉も迷子にならないで無事、帰還いたしました(笑)。



恥をかく 竜馬@管理人 - 2005/10/13(Thu) 10:57 No.3380  

3380.jpg 先週末からの「やり取り」に沈黙を守っていた久保さんの今日の書き込みは、「ちょっとした言葉の選択」に対する私の対応に対する批判を込められたものだとは思いますが、それに対する回答になっているのか、なっていないのかは私のレトリック能力不足ゆえにご容赦ください。

私は「“金”の為ならいつなん時でも相手が誰でも頭を下げる」と会社では広言して憚りませんでした。
これを聞いた方の大半は「何たる奴だ!守銭奴か」と思われるでしょう。
これは“金”の意味が少し違っておりまして、私人の私は金が不要とは申しませんが、プライドを崩してまで欲しくはありません。
しかし、百数十人の社員の生活がかかっている会社の社長としては、個人の意地やプライドなんかよりも会社の収益が問題なく優先します。問題が起きた時などはこんな頭で良いのなら何時でも下げますという意味でした。
その収益の部分を社内では“金”と表現していたのです。

そして、私のパソコンの「ユーザー辞書」に数百の文字や記号が登録されております。
社員全員、主だった画家さんなどもパッと思いつく言語や記号で入れてあります。
内緒ですが(内緒にならない)、「はげ」と入力すると3名の名前が入っていたり、「きんび」と書き込めば「北海道立近代美術館」と瞬時に出てきます。
因みに「くぼ」と入れますと「沼田町の怪人」というのと「沼田町のエセ文化人」の順番で文字変換がされます(笑)。
場合によっては「しろ」と書き込めば「黒」と変換させることも普通な訳です。
個人的生活の場面では一般概念と異なる言語表現を沢山しております。

絵画の場合は森羅万象を一般的に我々が受け止めている色彩や形状と全く違えて表現しても(基盤としてのデッサンがあっての話だと思いますが)成り立つとは思います。
でも言語で広範な方々に表現する場合は難しいですよね。
もし、久保さんの様に
>これは悪い意味ではなく、エネルギーを感じる・とゆー意味が産み&選んだ言葉です。
という注釈無しに
>伏木田さんの絵が「汚く」感じる時があります。
と書きましたら「喧嘩売っているのか!」となってしまいます。

ちょっとした解説不足が誤解を生む怖さを申し上げたかっただけだったのですが・・・。
最近、その恐怖に「インターネットに文章を書けない病」を患っている小心・痩躯の竜馬@管理人です(笑)。



レ・トリック・スター 久保AB-ST元宏 - 2005/10/13(Thu) 12:48 No.3381   HomePage

3381.jpg >解説不足が誤解を生む怖さ

■そうですね。
それは、しゃべり過ぎた飲み会の翌朝、意味の無い後悔みたいなモノも含めて、バベルの塔の住民の宿命ですね。

■ただ、「誤解」や、(先日の『渡辺貞之展・感想文』での拙文にも使わせていただいた)「誤読」すらも楽しめるのが、営利企業とゲージュツの違いなのかもしれません。
言葉(と、ゆーか、全ての表現)は多義的である運命から逃げられません。それは言葉に付随する解説のクオリティとはまた別の事実ですよね。

>北海道の作家は頭で描いている人が多く

■多義的なイメージを(とりあえず)完成させた設計図のような作品へ向かうのか、もしくは、多義的なイメージを多義的なままに「沢山描いている」かの違いはあるかもしれません。
伏木田さんは、その後者なのでしょう。

■添付させていただいた画像は、今回の個展に足を運ばれた方であれば印象的であったと思われる、二対の作品です。
まるでアンディ・ウォーホルのシルク・スクリーンの遊戯を感じさせてくれますが、これもまた「多義性」の放出であられると思います。
ご承知のように、ウォホールも本人が無理して演出しているほどデジタルな画家でもなく、かなりアナログな努力&苦労をしてきたのですが、伏木田さんはモロ、全てアナログで突っ走っていますよね。
内面の多義性は、全ての人が持ってはいるのでしょうが、それを全て作品として放出しなければ気がすまないようなエネルギーと、その超個人的な多義性を多くの人が興味を持って観たくなる作品に仕上げる時には、「才能」という言葉を思わず使ってしまいます。

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